1923年生まれの佐藤愛子さんと1972年生まれの小島慶子さんの「愛について」「世情について」「人生について」「結婚について」の往復書簡集。面白い。「『あなたと私はよく似ているけど、ひとつ違いがある。理論好きの慶子さんと乱暴者の私』と佐藤さんはおっしゃいます。『論理を踏んづけて情念に生きる』というお父様の影響を受けた佐藤さんと、深すぎる情念を理屈で掻き分けて生き延びてきた私は対照的です。当時は佐藤さんの豪快な一喝をくらって、納得もいかない思いもありました・・・・・・」と小島さんは語っているが、「何事も豪快に笑い飛ばすイメージの佐藤さんですが、それは極めて繊細で精緻な思考の上に成り立つ豪快さです」とも語っている。
読んで感ずるのは、小島さんは佐藤さんと会話ができて幸せだなという感慨。逃げないで真正面から悪戦苦闘する小島さんに、さんざん山ほど苦労して乗り越えてきた佐藤さんが、「そんなもの・・・・・・」と言い放つ。いい新人選手を見つけた名コーチが心を膨らませてアドバイスする。そんな「はからずも人生論」だ。
「夫はなぜ、私の孤独と不安にこうも無頓着なのでしょう。それともこんなことで激昂する私は、よほど了見の狭い女なのでしょうか」「えてして人間というものは愛していればいるほど、相手からも同量に愛を得たいと思うものです。・・・・・・慶子さんは我慢のし過ぎです。愛し過ぎです」「夫婦喧嘩の大義は要するに『ウップン晴し』ですからね」・・・・・・。
「人間が『生きる』ということは、本当に涙ぐましい努力の連續です。良いも悪いもない。幸福か不幸か、苦しいか苦しくないか、善か悪か、そんなこととは、問題が別なのです。『ただ生きた、かく生きた、一生懸命に生きた、彼なりに』」「94歳でそのお元気のコツを教えてください。・・・・・・『知らんがな、そんなこと』」「好きでやってるわけじゃない。これが現代を生きるということなのか――私は何ごとにも妥協せず、頑固に自分の生きたいように生きてきました。それができた時代だったのですね」・・・・・・。
「今の時代は何かというと、人の気持をわからなければいけないといい過ぎると私は思います。夫は妻の、妻は夫の、親は子供の、教師は生徒の・・・・・・。エイいちいちうるせえ、と私はいいたくなる。人は人、我は我。私はそう考えて、94年の波瀾を乗り越えてきたのですよ! そう考えなければ生きてこられなかったのよ!」・・・・・・。
「夫婦なんて『そんなもん』だと私は思ってる。あなたは真剣勝負が好きなのね。その点も私とあなたは違う。私は『いい加減』が好き。人の目には真剣勝負をしているように見えるかもしれないけれど、その真剣勝負もホントはいい加減にやってるんですよ。そうでなければ、慶子さん、この気に入らないことの多い厄介な世の中を96年も生きて来れませんよ!」・・・・・・。
こんな具合に、二人の往復書簡は噛み合っている。面白い。