まずこの本は誰が語っているのかがわからないと一歩も進めない。「私がヒトを担当するのはニ回目ですが、オス個体は初めてです」「ヒトって本当に、これまで担当してきた中でも珍しい種です」「尚成という個体の担当になって」――。この本は尚成というヒトの個体に宿る○○目線の突き放した人間観察記ということになる。
私(生殖器)が担当した尚成は同性愛個体であり、共同体との違和感を持ち続けていた。そのうち「同性愛個体を笑ったり気持ち悪かったりするのは"しっくり"くることなのだとなんとな~くの空気が読めるようになり、自分は同性愛個体であるという自覚と、同性愛個体は嫌悪されるべき存在であるという納得が、たったひとつの肉体の中で、何の矛盾もなく、両立していたのです」と語る。それが共同体内で生存していく上で必要不可欠だったのだ。しかしその後、故郷を離れて、大学に行き、就職をして暮らすうちに本当の"しっくり"を集めていくことになる。
共同体への違和感、「絶対にバレてはいけない」はどこから来るのか。それは「学校、家庭、企業、地域、社会、国、世界――どの共同体も、崩壊や縮小を目指して活動していない」と言うことから来る。そこで「神を設定していないヒトの生息地では、共同体が目指すものも阻害する個体は"悪"とみなされるからです。その共同体から追放される恐れがあるからです」。周りと違うというそれ自体を恐れるより共同体を阻害する個体として「認定されること」「追放されること」を恐れていたということだ。
私(生殖器)は、SDGsについても思うのだ。「完全に環境破壊の黒幕であるヒトが突然、"地球のために、できること"とか言い始めたのは、自分たちが快適に生息できることばっかり、ヒト主体の目標だった」と。そして「ヒトが絶滅さえしてくれれば、ほとんどの目標は達成される」と。「(マットを運ぶ)手は添えて、だけど力は込めず。これが、今の尚成の"しっくり"です」・・・・・・。
そして今の「尚成にとって職場は、拡大、発展、成長の文脈から金銭を吸い上げてくれる媒介であり、別の仕組みの星であり、出稼ぎ先である」「均衡、維持、拡大、発展、成長のために自分を封殺してきた共同体に、貢献なんてしたくない」「拡大、発展、成長で動いている社会をサバイブするために、身をつけた技が、"手は添えて、だけど力は込めず"なのだ」――。
尚成は同僚の女性・樹の「子どもが欲しい?」との相談を受けたり、後輩の颯から「同性婚実現のために活動するNPOに行く」との話を聞いたりする。「同性愛個体の生産性」を語る国会議員の発言を問題視し自分自身の生きる意味を自問自答する。「多様性の時代」と安易に語ることにも複雑な感情がこみ上げる。「正直、このまま同性婚なんて実現してくれるなって思う自分もいる。その方がいっそ丸ごと諦められて、精神的には楽だ」「同性婚が実現しても、絶対に口外できない人とかどうしたってパートナーと出会えなかった当事者からすれば我慢の度合いが強まるだけ。制度が整っていくって事は、当事者間でも格差が生まれる」「誰にも言えない状況で、世間から隠れ続けて生きていたら、自分を差し置いて勝手に変わっていく社会にイラつくでしょうし、人類滅亡しろって思ってたかもしれません、俺も」「生殖医療が発展し、体外発生が可能になれば、異性愛個体にできて同性愛個体できないことは一つもなくなる」など、頭の中はぐるぐる回る。
そして、「異性愛個体から無意識的な特権意識が引き剥がされる未来に最速の体感でたどり着くべく、お菓子作りとダイエットを繰り返すことこそが、至上の幸福である個体の歴史、一個体分くらい残しておくべきですよ、きっと」とつぶやいている。違和感の正体に迫る令和の書。
ハリス来航以来、幕府は突然に朝廷の勅許を得ようと動くが、「幕府には天下を治める自信も実力もないのだ」と、全国の大名たちに思わせる結果となってしまう。「それに乗じて、とりわけ西国の神社の宮司や神官や尊皇派の国学者や水戸の学問に染まった武士や煽動者たちが活動を始めて、朝廷を擁する京で遊説を繰り広げたのでございます」・・・・・・。将軍継嗣問題は紀州派の勝利となり、井伊直弼は大鉈を振るい始め、安政の大獄となる。
お登勢を妻に迎え、薬売りとして一本立ちした弥一は、薬種問屋「高麗屋」の主・金兵衛から、京でニ、三年暮らして経験をさらに積むように言われる。安政から万延に変わる直前の3月3日、桜田門外の変が起きる。彦根藩は水戸藩に復讐しようとする。しかし尊王攘夷の勢いは増す。一方で、「公武合体 開国策」「和宮降嫁」が進む。そんななか島津久光が兵を率いて上洛し、天皇を奉じて幕府と対決するとの噂が流れ、京は騒然としていた。
「西国の激派の間では、いつの間にか尊王という言葉が勤皇に変わってたんだ。尊王は帝と朝廷を尊ぶことで、心の有り様ですが、勤皇は天皇に仕えることになり、幕府には勤めないという一種の反幕宣言になる。行き着くところは倒幕でございましょう」「久光様には、倒幕等という考えは毛頭ない」「薩摩藩をお取りつぶしにさせてはならない。藩士たちの軽挙妄動を未然に阻止するため、どうしたらいいか」・・・・・・。弥一、高麗屋の跡取りの半兵衛、京油小路の老舗薬種屋「一貫堂」に移った長吉、才児らは薩摩藩御製薬掛目付であった旧知の園田弥之助らと連携をとって情報収集をする。「時機はまだまだ熟していない。なんとしても、薩摩の過激派武士にことを起こさせてはならない」・・・・・・。
勤皇攘夷の嵐はますます吹き荒れ、寺田屋事件、幕府の綻び、生麦事件、馬関砲撃、薩英戦争、八月十八日の政変となる。「勤皇攘夷派の諸藩士が去り、王政復古派の公卿が去った京には、一気に公武合体の機運が漲り、倒幕派の勢力は京から一掃されたのでございます」・・・・・・。
「長州激派の御所に火をつけ帝を長州へ連れ去る。一橋公と会津侯を殺す」との計画に驚愕した会津藩、桑名藩そして新撰組は「6月5日に三条木屋町の旅籠『池田屋』で、首謀者たちが集まる」ことを突き止め襲撃。池田屋事件だ。そして禁門の変。「薩摩藩には恩がある。我々にはどんなことをしても薩摩藩経由の唐薬種が必要だ。尊王攘夷、佐幕開国。そんなことはどうでもいい。・・・・・・全国津々浦々で何十万、いや何百万もの人々が、富山の薬を待ってくれている。富山の薬と、『先用後利』という商いの方法はニ百年近く、この日本を支えてきたのだ。その富山の薬を支えてくれたのが薩摩藩だ」・・・・・・。「京の大火は下京のほとんどを焼き尽くしました」・・・・・・。
動乱の京都を命をかけて走る富山の「薬隊」。火の粉の中を右往左往、逃げる庶民の姿は生々しい。
大阪の繁華街ミナミを舞台に、痛みや後悔、愛憎を抱えながら乗り越えようとする男女、親子の温かさが描かれる。いかにも大阪を感じさせるド庶民の人情の機微がとても魅力的。中心となるのは、姉妹の漫才師「カサブランカ」のチョーコとハナコ。笑いと涙が交錯する6つの連作小編。
「松虫通のファミリア」――。妻を亡くした吾郎は、娘の春美を妻の願ったピアニストにしようと懸命に育てるが、チョーコに憧れ漫才師になると出て行ってしまう。ハルミとヒデヨシの漫才コンビ「はんだごて」はスベりまくって空回り、逆に見捨てられていく。「大げさな身振り手振りでアピールすればするほど、客席は冷めていった」――なんだか今の政治の難しさを考えてしまう。1995年、阪神淡路大震災で春美は亡くなり、5歳になる孫の存在を、元相方のヒデヨシから知らされる。「閑古錐」――先が丸くなって使えなくなった錐。しかしそれは円熟。若いうちが全てではない、歳をとってできるようになることもある。
「道具屋筋の旅立ち」――優美の恋人は学生の誠。学祭の「大食い」に出てくれと優美に頼む。誠は大食いの「カサブランカ」のハナコの大ファン。子供の頃激太りしていた優美を罵倒していたくせに・・・・・・。「八角磨盤空裏走(はっかくのまばん、くうりにはしる)」――ありえないことが起きる。
「アモーレ相合橋」――。杉本昭彦が作曲した「アモーレ相合橋」を柿原登が歌って大ヒット。その1曲のみで足を洗った昭彦は今は模型作家。柿原は事業にも失敗。借金だらけのなか死ぬ。売れない歌手ちづると一緒に住んだ昭彦は、やっと会心の1曲「千羽鶴に乗って」を作曲してちづるに送ろうとしたが、そんな時、柿原が来て・・・・・・。「壺中日月長し」――涙なしには読めない感動的な話。
「道頓堀ーズ・エンジェル」――。ガンの告知を受けた夫の隠し子疑惑が発覚し衝撃を受けている女・橋本喜佐、結婚詐欺に遭って一千万円盗られた女・田島都、彼氏に捨てられて絶望している女・西本サエ。「男運のない女」がたまたま出会い明け方までしゃべる。チョーコに八つ当たり。
「黒門市場のタコ」――。翼の母の再婚した相手は船場の福永耳鼻科医院の2代目。父は人も羨むほど大事にしてくれるが、翼は苦しくなる。チョーコも父親から過保護、過干渉で苦しみ、一方で妹のハナコは「毎日寂しくて、惨めで・・・・・・お父ちゃんとチョーコを恨んだ」と言う。翼は会いに行くと、ハナコは「一笑すれば千山青し」ととりあえず笑うことを勧める。チョーコは「親は愛情で子供を壊せる」「自分を助けられるのは、自分だけや」「あんたはうちみたいにならんようにしい」と言う。
「ミナミの春、万国の春」――。2025年、万博の春にハルミの娘・彩は結婚を決める。ヒデヨシとハルミの「はんだごて」は、誰よりも「カサブランカ」のチョーコ・ハナコに憧れた。その王道漫才に。結婚式にサプライズがプレゼントされる。
「才能のない人間は、素直に流行に乗ればよかったのだ。MANZAIブームで生まれた有象無象の芸人たちのように、くだらないプライドなど放り捨てて、まずはウケることだけを考えればよかった。だが、ニ人とも間違えた。『はんだごて』は『カサブランカ』のように、王道の漫才で頂点を取るのだ。自分たちならできる、と」・・・・・・。王道を歩む漫才師、芸術家、政治家、そして人生道とは・・・・・・。大阪の繁華街ミナミを舞台にした「浪花節だよ、人生は」の傑作。
「日本へ大脱出する中国人富裕層を追う」が副題。「中国人が日本の土地やビル、タワマンを買っている」という話はよく聞くが、最近「開成などの有名中学受験で中国人が大勢合格している」などの話を聞くことが増えている。「潤」は中国語で「儲ける」という意味だが、発音のスペル(run)が同じ英単語から、逃げる意味を掛け合わせた流行り言葉。「様々な理由から良い暮らしを求めて、中国を脱出する人々」のことだと言う。最近、この新たな事態が日本で本格的に始まっている。その実態と本音を現場を徹底して歩いた衝撃的なレポート。
「潤」の人々は、この数年、特にコロナを経て急増してるようだ。「中国新移民はタワマン住民や超富裕層だけでなく、いわゆる中間層に相当する人も一定程度含まれている。祖国の経済減速の煽りをモロに受けた人々が、あの手この手で新天地・日本に活路を見出そうともがいている」「『潤』の人々は大別すると『良好な教育』や『資産の保全』、『言論の自由』を求めて日本へやって来ている」と言う。
「悪化を続ける受験戦争を避け、良質な教育を求めてくる一家」「祖国での高額なマンションを売り、割安なタワマンなどを通じて資産保全を図る中年層」「毒された情報空間から抜け出し自由な言論空間を享受したい知識人」「行き過ぎた愛国主義を恐れるうちに、安心安全なリタイア生活を過ごしたいと思うに至った経営者」などであり、「そうした人々に共通するのは抑圧から逃げる姿勢だ」と言う。
そうした衝撃的なエピソードを、次々にレポートする。「世界の現象としての潤(シンガポールに殺到する中国人)(歩いて米国に密入国も)(新華僑のモードはサバイバル、潤日は自由で豊かなライフスタイル)」「タワマンに住む人々(15〜20%中国人の東京湾岸タワマン)(受験の4大塾が揃っている)」「新お受験戦争(良質な教育環境を求める上海のアッパーミドル)(日本のインターナショナルスクールは中国人だらけ)」・・・・・・。
「引退組企業家安住の地(ジャック・マーのお忍び生活)」「独自のエコシステム」「地方という開拓地(ニセコの今) (首都圏で進む不動産開発) (千葉県鴨川など地方高校の中国人留学生受け入れ)(福岡の香港人コミュニティ)」「焦燥する中間層(経営者が日本市場に熱視線) (日本は中国の第二学区)」「リベラル派知識人大集結(北京で年々縮小する言論空間) (東京が知識人にとって最前線に)(第二の孫文は生まれるか)」「抗議者、小粉紅、支黒、大外宣」・・・・・・。
「『潤』は世界の潮流の中で理解しなければならない」「『経済安保』や『抑止力強化』といったお題目だけでは対応しきれない、リアルな現象の数々が肌感覚を持って広がっていた」と言っている。
「火事と喧嘩は江戸の華」――江戸の文化文政時代の芝居小屋。庶民文化の沸騰ぶりが、躍動感のなか描かれる。著者はなんと現役東大生。9歳の頃、からくり人形芝居「忠臣蔵」を観たことから歌舞伎にハマっていき、毎月のように群馬県から歌舞伎を見に通ったという。
芝居町きっての色男、音羽屋の三代目尾上菊五郎、江戸の芝居の現人神とも称される成田屋の七代目市川團十郎、縦横無尽の大作者・鶴屋南北が、ぶつかり合いながら躍動。團菊に心を奪われる大店の娘、やんやの喝采を送る江戸庶民、「金子が大の好物」とちょっかいを出す玉川座、中村座の業突く張りの金主・大久保今助・・・・・・。その次々に起きる騒動が描かれるが、華やかな江戸庶民文化を彷彿させる見事な筆さばきに感心する。
最初の場面は、「助六所縁江戸櫻」の江戸随一のいい男「助六」を当たり役にする市川團十郎に、「俺も助六」と大喧嘩を仕掛けた菊五郎の「助六騒動」。
「ためつすがめつ」――。若君の身代わりに実の子の首を討たせる「菅原伝授手習鑑」の見せ場。「型を守る芝居の天才に立ち戻った」團十郎の新たな工夫。凄まじい世界。
文政6年市村座、春狂言「浮世柄比翼稲妻」初日。ヨリを戻した團菊の共演で大入り御免を叩き出す。團菊がすれ違う拍子に、腰の方の鞘がぶつかって、喧嘩になる場面で、なぜか本身の刀。「あの馬鹿ふたり、舞台で刀抜いちまったよぉ!」----。
「連理松四谷怪談」――。菊五郎がやりたいのは古典の傑作「仮名手本忠臣蔵」。文政8年、夏狂言は「忠臣蔵」と「四谷怪談」を交互にやると、南北は考えた。市川團十郎扮する色悪・民谷伊右衛門、菊五郎を演じるお岩。南北の芝居づくりの才が冴えわたり大入り。
「盟信が大切」――。菊五郎を太宰府に追い払った座元と金主の今助。南北の新作は「忠臣蔵」と「五人切」をないまぜにした陰惨芝居。今助と南北軍団との戦い。「俺ぁ狂言作者だ、それっきゃできねぇ。ここを離れても書き続けるし、芝居をやり続けるさ」「ぼけたかい、南北さん! 小屋がなけりゃ芝居はできないよ、ましてあぁた金も人もいないんだろう?」「銭金で人を動かしゃ遅かれ早かれしっぺ返しよ。まっとうな人間なら金じゃあ動かねえ――人と人との信用は、銭金で買えるもんじゃねえや。・・・・・・這っても、泣いても出ていくぜ?」・・・・・・。
そして、菊五郎が戻ってくる。「耶蘇噂菊猫」――。南北は菊五郎に十役早替わりを当て書きする。文政10年、夏芝居「独道中五十三驛」。菊五郎の化け猫はじめ十役早替わり、一座総出の大仕掛けの夏芝居は衝撃的な大喝采を受ける。
まさに「かぶきもん」。大向こうをうならせる面白さの初陣。