kere.jpg今村翔吾の初期短編など八編。いずれも歴史の表舞台には立っていない人物、愚将・ 暗君とされる人物が、実は魅力的な名君であったことをあぶり出している。歴史の表面を1枚めくってみると、より歴史が鮮やかによみがえる。気鋭の作品。

「蹴れ、彦五郎」――。駿河今川氏の家督を継いだ今川彦五郎氏真。歌を詠み、蹴鞠にかけては達人の域、戦や政はからきし駄目と言われた彦五郎氏真だが、妻となった北条氏康の娘・由稀は「優しさ」「人の才を見抜く観察眼・洞察力」「目にも止まらぬ早技の武術」に驚く。その氏真が織田信長に見せた最後の意地・・・・・・。「黄金」――織田信長の嫡孫・織田秀信(あの清洲会議での三法師)が、関ヶ原決戦を前にしてとった西軍参加への決断と感状。さすが信長の嫡孫。

「三人目の人形師」――幕末の人形師、松本喜三郎、安本亀八、その師匠・秋山平十郎の数奇な人生を描く。

「瞬きの城」――江戸城を築いた太田道灌の圧倒的な力と西に築いた星ヶ丘城(現在の永田町のキャピタル東急ホテルの所)。古河公方と堀越公方の対立、公方を補佐する関東管領のニ家である山内上杉家と扇谷上杉家。太田道灌の力と名君・扇谷政真。関東の争乱は治まっていく。目まぐるしい戦乱を太田道灌を中心に端的に描く。

「青鬼の涙」――「彦根の赤鬼」と呼ばれた井伊直弼に対して「鯖江の青鬼」と言われた辣腕の為政者・間部詮勝。明治となって、元大名の老人が昔の恋人の面影を求めて故郷に行く。「山茶花の人」――直江兼続は名高いが、それに抗した上杉家きっての猛将であった新発田重家。そこに惹かれていく由良勝三郎景隆。新発田重家の乱から見えてくるものは・・・・・・。

「晴れのち月」――武田信玄の嫡男・太郎義信。甲斐の武田家、駿河の今川家、相模の北条家は三国同盟を結び、武田義信は今川家の姫・月音を妻とする。武田信玄は上杉謙信と川中島で戦い、あるときは海を得ようとして今川を攻めようとする。義信は父を守る戦をするが、諫言もする。父・武田信玄からは徹底的に疎まれる。最後は幽閉され、家督は四男の勝頼に。「御屋形様が必ず口に出すであろう言葉があります」「太郎が生きておれば」と月音は言うのだった。

「狐の城」――北方謙三との出会いを生んだ今村翔吾のニ作目の作品。天正17年、小田原の元当主・北条氏政の弟であり現当主・氏直にとって叔父となる氏規は大阪から帰還する。外交にたけた氏規であったが、豊臣家との友好関係は破綻し、開戦は不可避であった。世にいう小田原評定の毎日。豊臣家との決戦となれば韮山城こそ最重要拠点と考えた氏規はそこで知略を尽くした戦を展開する。「氏規が助五郎と呼ばれた幼い頃、今川家に人質に出された。家康もまた同時期に、人質として同じ駿府にいたのである」「(秀吉は言う)あれはとんだ狐よ。牙を隠しておるわ。確か、そなた(家康)と氏規は縁があったの」「あれは恐ろしく、またつかみどころのない男でござる」「狸がそう言うなれば正しく狐」・・・・・・。氏規は氏直とともに高野山へ追放。しかし宗家を残そうとした「氏規の戦」は氏直の赦免をもたらし大名に復帰させたのだ。 

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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