田中角栄・中曽根康弘両首相は同じ1918年生まれ、政界デビューも同じ年。早野透・松田喬和両氏と私も同じ1945年生まれで、見てきた歩んできた政治の世界も共通している。強烈な二人の政治家の番記者の練達の対談だけに、実に面白く、時代を思い起こしつつ読んだ。
「時代が政治家を育てる」「いい政治家が記者を育てる」というが、早野・松田両氏は、時代と強烈な二人の政治家の空気と息づかいを身体いっぱいに吸収している。今の若い政治記者にとってはうらやましい限りであろう。
「高等小卒と帝大卒」「親・吉田と反・吉田」「角栄のテレビ時代と中曽根のテレビ政治」「戦術の角栄と戦略の中曽根」「日本列島改造論と日本改革論(戦後政治の総決算)」「角栄のすごさは"総理になるまで"と中曽根のすごさは"総理になってから"」、そして「"異端"の角栄、中曽根と"正統"の安倍」・・・・・・。
夢、信念、怨念、情と理、権力闘争等々、表に出ないエピソードまで迫って述べている。出色。
我々は今、大きな変化の渦中にある。どのような社会に推移していくかを見通せない。インターネットが我々の情報環境を大きく変えたが、いま人工知能の進歩は著しく、ビッグデータを駆使し人間の知的作業の多くを代替することになる。「ロボットの脅威――人の仕事がなくなる日」(マーティン・フォード)もあれば、「シンギュラリティ――人工知能から超知能へ」(マレー・シャナハン)のように、多くの人は仕事を失うかもしれないが、豊かに暮らすという楽観論もある。ニュートンは「リンゴはなぜ落ちるのか?」ではなく、「リンゴは落ちるのに、なぜ月は落ちないのか?」と誰も発しなかった問いを発したことを例示し、「人工知能は疑問を抱くことができるのか?」という。そして人間の「知識」というものの本質を指摘する。「知識は資本財の1つである」から「消費財としての知識」「知識を得ること自体に意味がある」「知識の獲得自体が目的化し、無限の喜びをもたらす」という思いを語る。知識の未来は新しい希望の世界に開かれていくとの指摘に、心が晴れやかになる。
「知の進化論」「知識の価値」を示す本書は「グーテンベルク」「インターネット」「人工知能」の時代を画した技術革新の歴史をたどる。「かつて知識は秘密にされていた」「百科事典は知識を万人に開放した」「インターネットで情報発信者が激増した」「検索という方法論」「SNSやキュレイションで情報拡散スタイルが変化」「知識は秘匿すべきか、公開すべきか?」「人工知能の進歩で知識への需要はどう変わるか?」とその内容を興味深い歴史的事件をも交えて解説する。「百科全書・グーグル・人工知能」が副題だ。
リスクに直面しても恐怖や不安を感じない人間、共感性が低い人間、平気でウソがつける人間、他人を傷つけても後悔も反省もないし、過去の経験から他人の気持ちを学ぶこともできない人間。表面的な魅力、不安の欠如、罪悪感の欠如、不誠実・自己中心的・親しい関係を継続して作れない、情動の乏しさ、プレゼン能力だけ異常に高い・・・・・・。そうしたサイコパスが1%、つまり100人に約1人いるという。
「精神分析の失墜と脳外科の台頭」のなか、「脳科学」がサイコパスの脳の謎を徐々に明らかにしつつある。カギは「扁桃体と眼窩前頭皮質および内側前頭前皮質とのコネクティビティ」。それらの活動が低く、「良心というブレーキがない脳」「倫理・道徳というルールを学習できない脳」だ。
歴史上の人物として排除されずにのし上がった「勝ち組サイコパス」と思われる人物として、織田信長、毛沢東、ピョートル大帝、マザー・テレサなどが上げられ、分析されているという。
世界の大激震のなか、日本の安定性は"特異"だが、妙な一服感に浸ってはならない。2020年、東京五輪は復活に大きな力となる。「竹中教授の2020年・日本大転換プラン」が副題だ。
成長戦略として「特区とコンセッションを大胆活用する(規制に埋めつくされている日本)」「東大民営化は教育改革の目玉となる(教育は経済の基盤)(英語力で日本の趨勢は決まる)」「ゲストワーカーで労働人口減に対処する(働く人のパワーをもっと生かす)(同一労働同一賃金で格差解消)(男女雇用格差をなくす)」「負の所得税は画期的なセーフティネット(インクルーシブ・グロース)(中間所得者の税率引き上げを)」などを具体的に提示している。
イノベーション、生産性革命、働き方改革にアグレッシブに挑まないと、日本の未来は縮む。