日本国憲法の制定過程――。吉田茂の「回想十年」をはじめ、政治家・学者や白洲次郎など多くの発言があるが、GHQと直接やり合った内閣法制局の佐藤達夫を主人公とした物語。GHQの圧力のなか、日本人がいかに煩悶し戦ったかが、生々しく描かれる。
昭和20年8月14日、ポツダム宣言受諾、15日敗戦、10月27日に松本烝治国務大臣の憲法問題調査委員会(松本委員会)発会合。21年2月1日、毎日新聞スクープ(宮沢俊義甲案)、2月3日マッカーサー三原則、2月13日GHQ案、2月26日佐藤達夫氏等GHQ草案に基づく憲法改正草案の作成に着手、三月二日案、3月6日憲法改正草案要綱の発表、4月10日衆議院総選挙、4月17日憲法改正草案、6月20日帝国憲法改正案を衆議院に提出、8月24日衆議院修正議決、10月6日貴族院修正議決、10月7日衆議院で回付案同意、10月29日枢密院可決、11月3日日本国憲法公布、22年5月3日日本国憲法施行。この間も壮絶な戦いだ。
極東委員会が本格的に動く前に進めようとするGHQ。GHQ民政局長ホイットニーの部下のケーディス大佐と連日やり合う佐藤達夫。幣原内閣で外務大臣を務め総理として憲法制定に取り組む吉田茂、その側近・白洲次郎、答弁を一手に引き受ける金森徳次郎・・・・・・。連日にわたっての激しい議論。「象徴天皇」「国体護持」「主権」「9条」「芦田修正」「シビリアン問題」「基本的人権」「貴族院と参議院」・・・・・・。GHQの影響下、短時間のなかで、激しい論議を突き切って作られた日本国憲法の制定過程のドラマが描かれる。「GHQはゴー・ホーム・クイックリー」と吉田がいう。