「潮」の「令和に生きる日本人へ。」の中で、混迷の時代を生きる日本人に向けて、山崎正和さんは三つの遺言「過去と歴史の教訓から真摯に学ぶ(目の前のことで騒ぐのではなく、大きな歴史的文脈の中で考える)」「社交の技術」「読書の大切さ(時空を超えた社交そのもの)」を遺しているという。「鴎外 闘う家長」以来、日本の「知」を牽引し、「サントリー文化財団」を舞台に「知のサロン」を創造し、劇作家を文字通り演出してきた山崎正和さん。本書は山崎さんの思想と行動の骨格をくっきりと浮かび上がらせている。何度も事あるごとに話を聞きにおうかがいし、また著作もかなり読んできた私にとって、あの時、この時の言葉の意味がより鮮明になった。「山崎さんは、多くの人に大きな知的刺激と幸せの余韻を残して旅立たれた」と片山修さんは結ぶが、本当にそうだ。
「佐治敬三のDNA(彼は儲かるかどうかより、『おもろい』かどうかという感覚、感性を大事にした。経済的な損得よりも文化的な価値があるかどうかを判断基準)」「脱工業社会、モーレツからビューティフルの1970年代。山崎さんは人びとが時間を消費し、『社交』を楽しむようになるとして、ハードな組織集団から柔らかな集団に帰属する『柔らかい個人主義』の誕生を上梓した。消費は自己発見であり、社交の一環であり、文化そのものであり、知的な活動だ」「山崎は文化財団という戯曲の作者であると同時に、プロデューサー兼演出家でもあった」「私は根本的に文壇嫌いで小林秀雄という人について、非常に違和感があった。ああいうことはやるまいと。江藤淳は小林秀雄の跡継ぎになりますね。・・・・・・学芸賞において山崎はタコつぼを破壊し、国際性や学際性を重視して真のインターディシプリナリを復活させようとした」「論文に求められる『芸』――部分でなく全体でとらえる眼差し、一般の人たちの素朴な疑問や常識的な感覚からものを見ているかどうかを選考の重要なポイントとした。学術賞でなく、あくまで学芸賞とした(劇作家)」「地域文化賞――『文化』と言っているのは、言ってみたら『遊び』のこと、奇想天外で独創性がある(研究するのではなく、自らプレイヤーとして地域に参加する)」「学派、学党の集まる研究会でなく、日本の知的社会の構造改革、文化財団の『知のサロン化』、対話と論争の『場』、『社交』だ」「組織社会から社交社会へ――人間は社会的動物であるよりも、むしろ社交的動物だ」「『リズムの哲学』を考える――人生のリズム、孤独死と近代的自我」・・・・・・。
国家を支えるのは、文化である――戦後日本の成熟を信じた『知』の肖像」と帯にあるが、「ものを考え、それを文章にすることを生業にしてきました」と言う山崎正和さんの人格が迫ってくる。