「東京で、偉い人が、くれぐれも復興プランなどつくらないでほしい」「政治家は1か月位、家族ぐるみでここへ来て住んでみたらいい」――3・11以 来、何度も被災地を訪れて聞いた言葉だ。現地では今日も人は生活している。佐野さんは「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけ だ」という言葉を載せているが、この3月、「牛を置いていけといっても牛は俺の家族だ」と泣いた畜産業の人の言葉は私自身、今も深く残っている。先月訪れ た南相馬市の和牛の悲しそうな、訴えかけるような目も・・・・・・。「原発によってもたらされる物質的要素だけを享受し、原発労働者に思いをいたす想像力 を私たちが忘れてきた・・・・・・。原発のうすら寒い日常の向こうには、私たちの恐るべき知的怠惰が広がっている」と佐野さんは語る。現場の涙と土と汗、 言葉のない絶句の世界。キレイごとどころかキレイごとにもならない東京の政治に、誰も見向きもしなくなった現場。自分が「頑張ります」としか言いようのな い世界、それが現場。「大衆と共に」だ。
佐 野さんは原発の歴史にふれつつ、「正力松太郎の巨大な掌の上での安穏な暮らし」を問いかけている。プロ野球もテレビも原子力も正力の天才的プロモー ト・・・・・・。戦後とは、繁栄とは・・・・・・。あくまで被災者を思う心の深さがあるかどうか・・・・・・。根本的な問いかけを本書はしている。