「日本に本当に必要なもの」「この生きづらい分断社会を終わらせる」「社会主義がきらわれ、資本主義もかなりくたびれている今、人間の顔をした社会をめざして智恵を出そう」――。図入りできわめてわかりやすく書かれているが、中身はきわめてしっかりしている。
「税への抵抗が強い社会は、誰かのための負担をきらう"つめたい社会"になっている」「貧困にあえぐ人びとを"見て見ぬふりする社会"を僕たちは生きている」「社会に数々の"分断線"が引かれ、人間を信頼しない社会になっている」という。そして「3つの分断の罠」を提示する。第1は「再分配の罠」(困っている人を助けようとすると中間層が反発する。格差是正の必要性を訴えるほど、負担者となる中間層の痛みが増し、貧しい人への非難が始まる)、第2は「自己責任の罠」(成長の行きづまりが、生活の行きづまりになる。国に借金が残り、社会保障の抑制や公共事業の削減が始まり、政府への怒りがわきあがる不幸の連鎖)、第3は「必要ギャップの罠」(お年寄りの利益が優先され、深刻な世代間対立が生まれている)だ。日本は「働くことが前提の自己責任社会、勤労国家」だったが、その前提の経済成長が崩れはじめ、社会経済の変動に対応できなくなった、という。
そして、「規制緩和、グローバル化、人件費削減が加速」「賃金が下がりつづけ、デフレ経済に突入、家計貯蓄率もほぼゼロ」になっている。
そこで、「更なる成長の道」か「成長には頼らない道か」の決断が迫られる。井手さんは、「発想を大転換し、思い切って中高所得層も受益者にする」「"必要の政治"によって格差是正を結果に変える。国と地方が、それぞれの役割を果たし、できるだけ多くの人に負担をしてもらい、可能な限り多くの人にサービスを提供する」「弱者を助けるのではなく、人間の必要を満たし、弱者を生まないようにする」「所得制限をふくめて、貧しい人たちにも、所得の多い人たちにも分け隔てなくサービスを提供する」という。さらに「分断線を消す、そして、自分の生き方を自分で決められる社会へ」という。巷間の格差是正論に「サービスを分厚くするために負担から逃げない」と、全く違う切り口で挑む。