「心こそ大切なれ」という仏典にある心は生命のことである。森羅万象の生命・こころが滲み出て、日本語がいかに美しいか、味わい深いものか、生命の真髄に迫るものであるか。感動した。本書は本であって本ではない。境地の現われだ。
「はじめに」で「万象への深い認識を示す日本語に、わたしは脱帽しつづけている」という。「あとがき」で「動作とはすべてことばのこころを演じるものなのか。・・・・・・もうこうなると、ことばはほとんどこころにひとしい。こころは、言語となり動作ということばによって現されているのだった」と語る。本書の後ろから抜き書きすると「しかし当時の現実主義者・定家が主張する丈の高さを、丈の暗みに引きずり降ろした珠光の、冷えや痩せの心が滲み出た陰翳の美学は、大きく日本美を深化させる、勇敢な発言だったというべきだろう」「日本人はつねに常識、偽制、権威といったものの正体への絶望と、それへの断念を表明してきたように思える」「しかし、正反対に、古典人の山川草木は人間とあい融和し、ともども在る物であった。お互いに魂を持つ者としてまなざしを交わす物だったことを、古典は教えてくれる(自然と人間)」「あいまいさも、ごまかしも、すべてがそぎ落とされて、それこそ冴えざえとした物の輪郭を鏡として自分を発見できる季節が、冬であった。心の季節といったものを古典から汲みとることもまた、大事であろう」・・・・・・。うなってしまう。
日本の歴史と文化、ことばのこころを受けて、「丁寧に生きていこう」「いちだんと深い人生の味わいを尊重しよう」と思う。