騎虎の将太田道灌(上.jpg騎虎の将太田道灌(下).png

室町時代後期の武将、武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰である太田道灌(1432年~1486年)。江戸城を築き、山吹伝説など歌人として名高いが、応仁の乱等の混乱のなかでの15世紀後半、動乱の続く関東での武将の姿が描かれる。

関東公方・足利持氏と確執していた6代将軍・足利義教は、関東管領方の上杉一門を支援し、持氏を討つ。関東管領上杉氏は山内上杉家・犬懸上杉家・宅間上杉家・扇谷上杉家に分かれていたが、上杉禅秀の乱で犬懸家が没落、山内家とそれを支える扇谷家の両上杉家が関東管領職を担う。太田道灌は扇谷上杉家の家宰となって動乱を戦い抜くことになる。持氏が討たれた後、関東の諸家が分裂するが、次第に持氏の遺児足利成氏が「古河公方」を立て、利根川をはさんで「古河公方陣営vs山内・扇谷の両上杉家を中心とする管領方陣営」が断続的に戦闘を続ける。

太田道灌はドライな徹底したリアリストの幼少期から次第に幅広い軍略家として成長するとともに、利根川の河口(江戸)の要衝地を押さえる江戸城を築き、物流拠点として浅草と品川を押える。荘園の警備役であった武士が、所領と戦さに欠かせない米を押さえることによって確立されていく先駆役でもあった。めまぐるしい戦乱を知謀をもってくぐり抜けた道灌は謀殺されるが、本書の最後に伊勢新九郎(北条早雲)が登場し、時代は16世紀、戦国時代、武士の時代を迎えることになる。"騎虎の将"と呼ばれた太田道灌の戦いの地は、まさに今の首都圏。今の地名の根源を知るのも興味深い。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ