白洲次郎 占領を背負った男.jpg白洲次郎が表舞台に登場したのは、日本にとって敗戦後の未曾有の国家的危機の時代。GHQは"従順ならざる唯一の日本人"と報告しているが、「一見破天荒なように見える彼の行動の中に、いつもすっきりと一本、際立った"筋"(白洲次郎のいうプリンシプル)が通っていた」「プリンシプルを持って生きていれば人生に迷うことは無い<プリンシプルに沿って突き進んでいけばいいからだ。そこには後悔もないだろう>という言葉どおりに彼は生きた。人生の最後の瞬間まで格好良かった」と北康利さんは描いている。自我を持ち個性豊か、画一的思考を排除し、行動も速く、情にも厚い。白洲正子は「直情一徹の士」「乱世に生き甲斐を感じるような野人」と評した。

「近衛文麿と吉田茂」「占領された屈辱」「政府とGHQの間の折衝を行う終戦連絡事務局(終連)の参与に抜擢される」「憲法改正におけるGHQとの攻防」「"今に見ていろ"と云う気持抑へ切れず」「ケーディスとの最終決着」「民政局との国家主権をかけた血みどろの争いを戦い抜いた自負」「通商産業省創設」「講和と独立」・・・・・・。激烈な戦いの日々が描かれる。

「今の政治家は交通巡査だ。目の前に来た車をさばいているだけだ。政治家も財界のお偉方も志がない」「ボクは人から、アカデミックな、プリミティブ(素朴)な正義感をふり回されるのは困るとよくいわれる。しかしボクにはそれが貴いものだと思っている。これだけは死ぬまで捨てない」「功を求めずに縁の下の力持ちをもって甘んずる、をよしとする」「あいつらはバスが走り始めてから飛び乗るのがうまいだけだ」――。白洲次郎の言葉は鮮やかで鋭い切れ味をもつ。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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