離婚して一人暮らしの一級建築士の青瀬稔。吉野陶太夫妻から「信濃追分に80坪の土地がある。あなた自身が住みたい家を建てて下さい」というたっての希望を受け、浅間山を望み北からの光を思う存分取り込んだ(ノースライト)斬新な木の家を建てる。建築士としても静かな評価が広がっていく。しかし、そのY邸を訪れると、家族が住んだ気配もなく、ただ一脚の古い椅子だけが残されていた。その椅子はなんと「ブルーノ・タウトの椅子」であり、そして肝心の家族はどこに消えてしまったのかわからない。ミステリーとはいっても、建築の美しさ、人の心の美しさが浸み込んでくる長編だ。
ナチス・ドイツから逃れた建築家ブルーノ・タウトは白川郷の合掌造りや桂離宮の建築美を褒め称えた。「日本の美」は、自然と人間との調和、物と心のバランスの中にある。タウトは言う。「桂離宮を見て、泣きたくなるほど美しい」――。建築家の求める「唯一絶対の美」「絶対美と呼べるものの在り処を知っていて、美しいものを創造しようと、自分の心を埋める作業。終わりなき作業」と、人間の求める「恩」「心の通い合いの世界」が交差していく。