平成はなぜ失敗したのか.jpg平成時代30年間の経済分析。それは「世界経済の大きな変化に日本経済が取り残された時代」「日本経済の国際的地位が継続的に低下された時代」であり、「大きな変化が生じていることに気が付かなかったために取り残された」という。「90年代初め、日本人はバブル崩壊に気づかなかった」し、「世界経済が90年代に大変化し、IT革命、製造業における水平分業という新しい生産方式が広がった」のに対応が全て遅れ、逆行すらした。「2000年代の回復は偽りの回復で改革が遠のいた」とも、「リーマン・ショックが実は日本の自動車等に大きな影響を与え、輸出立国終焉した」「輸出依存型成長は日本経済に対する本当の解決策ではなかった」「異次元金融緩和はマネーストックを増やさなかった。追加緩和・マイナス金利導入も効果なし」と指摘。「日本が抱えている問題は、金融緩和や円安では解決できない。産業構造・経済構造を変えるしかない。とくに新しい情報技術の活用だ」「新しい産業の登場が鍵」と結論づける。

バブルの崩壊、大企業や金融機関の不祥事、山一・長銀破綻、不良債権処理、IT革命、中国の台頭、リーマン・ショック、長引くデフレ、金融緩和・財政出動・成長戦略のアベノミクス、世界でのGAFAやBAT・・・・・・。10年区切りで日本の経済対策では格闘してきた思いだが、振り返れば失敗も、遅さ、にぶさも露わになっている。2004年、シャープの「世界の亀山」は垂直統合型の国内モノづくりの回帰であったが、2016年鴻海に呑み込まれたのは、指摘していることの代表例でもある。

そして日本の直面する課題を「人口高齢化への対処(労働力不足と社会保障支出の問題)」「大変貌する中国、この30~40年の世界経済の構造変化」「改革の遅れを取り戻しAIなどの新しい技術への対処(日本の情報技術の遅れ、情報分野中心の産業構造に、企業のビジネスモデルの転換・脱工業化、生産性の高い産業に、世界的水平分業)」と3項目提示している。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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