江藤淳(本名・江頭淳夫)没後20年。 江藤淳の自殺の数時間前に、本人から直接原稿を受け取った縁深き平山周吉氏の渾身の作、1600枚。「漱石とその時代」「小林秀雄」「成熟と喪失」「海舟余波」「閉ざされた言語空間」「完本 南洲残影」をはじめとする膨大な著作や折りおりの発言も含めて、その知見、思想、喪失感、怒り、悲しみを評伝としてまとめたもの。当然、小林秀雄、大岡昇平、丸山真男、三島由紀夫、埴谷雄高、大江健三郎、吉本隆明・・・・・・。ありとあらゆるといってもよい文人、思想家、評論家との切り結び合いは激烈だ。"行動する知性"の刃は相手を正面から打ち砕こうとした。"友"が次々と去るのも宿業ともいうべきものであった。
明治以来の近代日本。"近代なるもの"は各文人にとって耐えられないものとして憤りや喪失を生起した。進歩史観のなかに生ずる「亀裂」と「喪失」。江藤の内部に巣食う幼き頃よりの「母」と「故郷」の喪失が悲しみの基調音となり、"戦後民主主義""反体制の知識人"への激しい断罪が繰り返される。我々の世代にまで受け継がれたラジカルな思想空間の時代を牽引した一人がまぎれもなく江藤淳であった。「時流に流されず、根源的に問う」「浅きを去って深くに就く」「思考の粘着力によって哲学不在の時代を打砕く」・・・・・・。私自身が学生時代、私流の角度でのめり込んだ思想闘争にはエネルギーが満ちていた。
「思想の拠点をどこに置くのか」――。我々が常に問いかけ意識したことだ。江藤淳は芥川、太宰、三島、川端、小林美代子、金鶴泳等々と同じ自殺を選んだ。江藤は自殺について「処女作のころから、金鶴泳の文学は、生と死とのあやうい均衡の上に成立する静かな諦念をにじませていた。おそらくこの均衡の針が、ほんの一目盛だけ死の方に傾いたのだったに違いない」と言っている。その生死の世界として江藤は「老子の玄の世界」にしばしば論及しているが、それは有無中道の境地といえようか。ならば江藤を"保守の論客"などと言う前に、東洋思想、パトリオティズムの基盤が堅固であったことを取り上げるべきではないだろうか。
考えてみれば"批評"は難しい。しかもそれを生業とするからには、抜き身で相手の心中に入り、再び距離感を置いて相手を切り刻むという業火にまみれることを余儀なくされる。一撃で仕留めなければ自らがやられる。成熟という名の空虚を生む近代社会。江藤淳が対象とした人物は西郷も海舟も漱石も小林(秀雄)も三島も引き裂かれながら自立して生きようと戦ってきた"時代の戦さ人"たちであった。江藤自身が批評というシビアな形で血まみれに戦ってきたことを本書は示している。その根源を問い、道を志向する闘争姿勢を「甦る(甦れ)」と言っているのではないか。