ナポレオン③転落篇.jpg破竹の勢いで勝ち続けるナポレオン。1806年にはプロイセン軍に勝利し、ベルリン勅令(大陸封鎖令)を発布。ロシア軍にも勝利し、ロシア皇帝アレクサンドル一世と意気投合、ティルジット和平条約を締結する(1807年)。スペインの蜂起を押え、1809年にはオーストリア軍に勝利し、翌年にはオーストリア皇女マリー・ルイーズと結婚、念願の皇太子が誕生する。絶頂期を迎えるが、ロシア遠征(1812年)でクトゥーゾフの老練な焦土作戦にはまり、対フランス同盟軍に追いつめられていく。パリでのクーデタ未遂事件にも脅かされる。1813年のドイツ遠征も無理を重ねて勝利するが、プロイセン・ロシア・オーストリアが結束していく。そして1814年、退位に追い込まれ、エルバ島に流される。

ナポレオンの焦りと怒りと絶望は想像を絶する所だが、その心象が吹き上がるように描かれている。とくに、オーストリアとの同盟を軸としてヨーロッパの平和を志向するタレイラン、先鋭的なジャコバン派として王党派を憎み、大陸封鎖令にも帝政にも異論をもちながら変幻自在に生きるフーシェ、フランス革命以来、戦乱に疲れ荒んだヨーロッパで一国のみが巨大となることではなく妥協のなかに平和を模索するオーストリアのメッテルニヒ等々、生存本能ともいえる激烈な闘争や裏切りが活写される。ナポレオンの卓越性が孤立性へと進んでいくのだ。

1815年2月、エルバ島を脱出、パリに入城、3月には復位を果たす。そして、6月のワーテルローの戦いで、イギリス・プロイセンらの同盟軍に敗北。セント・ヘレナ島に送られ、1821年にそこで死去する。「まだ私は終わりではない」「果たすべき、使命がある」と戦い続けたナポレオンは、動くことをやめず、一生を口述筆記させた。セント・ヘレナでナポレオンの秘書を務めたラス・カーズは1823年、綴った自身の日記を回想録として発表した。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

太田あきひろホームページへ

カテゴリ一覧

最新記事一覧

月別アーカイブ

上へ