星と龍.jpg葉室麟の最後の長編で、未完のもの。楠木正成を描く。後醍醐天皇の建武の新政までは描いたが、足利尊氏らの九州への駆逐、反撃に転じた足利軍と楠木・新田義貞連合軍との湊川の戦い、正成の最後は書かれていない。本当に残念だ。

北条得宗家の命を受け、同じ悪党を討伐することで正成は名を上げる。築城・籠城・情報戦・電撃戦と縦横無尽の軍才をもった正成だが、その精神の骨格を成したものが、夢窓疎石の弟子・無風から受けた朱子学であった。中国・南宋の「夷敵を撃つ精神」「帝によってこの世を作り替える」「天子は徳によって世を治めてこそ天子なのだ」「悪党であるがゆえに正しきことをなそうと若きころ心に思い定めた」「正成の生き方は生涯で正しきことをなしたいということであった」――。

安部龍太郎が、末尾に「夢と希望と作家の祈りと」との心に浸み入る解説を載せ、「複雑怪奇な南北朝時代・・・・・・。そのシンボルとして葉室さんが選んだのが、理想の象徴としての星である後醍醐天皇と、天に駆け昇ろうとする龍に見立てた楠木正成だった」と言っている。正成は後醍醐天皇を隠岐島から脱出させ、反幕勢力の布陣を整え、自ら千早城に幕府の大軍を引きつけ、ついに倒幕を成し遂げる。しかし、理想と現実は当然異なる。足利によって護良親王は殺害され、その背後には帝自身がいる。足利尊氏の台頭、新田義貞の巻き返しがある。「楠木ならばいずれ足利を退治いたすこともできよう。朕をしのごうとするものは護良であれ、尊氏であれ、天罰を被るのじゃ。後醍醐天皇は満足げに嘯いた」と描いている。正成と志を共にした鬼灯には「どのような敵にも打ち勝つ、魔神のごとき戦上手の楠木様の一番の弱みは正しき道を求めるところでございますな」と語らせている。「天と天皇」「朝廷と武士」「南宋における朱子学と貿易」「日宋、日元貿易と宋銭」など、根源的問題が自然のうちに剔り出されている。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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