刀と傘.jpg幕末から明治初頭の激動の日本。政治の謀略、激震の京都を背景にして起きる殺害事件の謎に挑む時代本格ミステリー短編集。佐賀、そして近代日本の司法制度の礎を築く江藤新平と尾張藩士であった鹿野師光が、それぞれの個性を生かして事件を解決する。いずれも動乱の時代状況を描くことと、ミステリー事件の謎解きが絶妙に組み合わされ面白い。

「佐賀から来た男」――攘夷思想が蔓延する京都で、開国交易論を声高に主張し薩長から睨まれ、越前藩主で賢候として名高い・松平春嶽の相談役を務めた五丁森了介が怪死する。大事な書簡を盗まれた責任を取って、五丁森は腹を切ったのだろうか。「弾正台切腹事件」――弾正台京都支店で大巡察・渋川広元が腹を切り喉を突いて密室で死亡する。自殺か他殺か。明治3年、横井小楠と大村益次郎暗殺に関する資料を探していた江藤新平の打った手は・・・・・・。そして土佐の脱藩浪士・大曽根一衛の心中に渦巻く「攘夷を旗印に維新回天を誓った者が、天下を獲るやその旗印を捨て欧米列強に媚び諂う。それが許されてよいのか」という鬱憤。「監獄舎の殺人」――明治5年、京都の府立監獄舎に収監されていた国家転覆を企てた平針六五が、死刑執行の日に毒殺される。なぜ・・・・・・。

「桜」――明治6年、京都室町下ルの妾宅で、市政局次官・五百木辺典膳と女中が刺殺され、妾がその賊を殺したという事件の真実は・・・・・・。一枚岩だった江藤と師光の間に亀裂が生じていく。「そして、佐賀の乱」――明治6年秋、征韓派と内治派の争いのなか西郷や江藤は政府を去る。佐賀の暴発の恐れがあるなか、江藤を佐賀に行かせず京都に留め置こうと考えた者がいた。明治7年2月、佐賀の乱、3月に土佐で江藤新平は捕縛される。

時代のなかで引き起こされた5つの事件。江藤と師光は真相を究明するが、事件関係者にはいずれも宿業のような物悲しさがある。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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