歴史の教訓.jpg「『失敗の本質』と国家戦略」が副題。「なぜ戦前の日本は誤ったのか」「戦前の日本において、外交と軍事の総合調整、国務と統帥の統合がどのように形成され、破綻したか」――。世界の潮流を見誤まり、軍の暴走から大日本帝国の滅亡をもたらした"失敗の本質"に迫る。多くの歴史書と違い、熱を帯びた鋭い論考となっているのは、最近まで内閣官房副長官補、国家安全保障局次長として、国家戦略の中枢で重責を担ってきたことにあろう。加えて、戦前の体制が世界の激動と潮流を如実知見できず、体制は無責任、軍の暴走に帰着したこと、外交が国家の決定に関与できなかったことの悔恨が行間から滲み出る。それに比し、たとえば日露戦争を和平にまで持ち込むことができたのは「小村寿太郎のような傑出した外交官、大山巌、乃木希典、児玉源太郎等の名将とともに、桂太郎総理を陰から支えて外交と軍事を統括した元老・山縣有朋がいたからである」という。また日清戦争についても「伊藤博文総理が、陸奥宗光外相、川上操六陸軍中将という人を得て、政治、外交、軍事を統括することによって得た勝利である」という。

そうした「日清戦争、日露戦争と朝鮮半島」や「対華21ヶ条要求という愚策」「日英同盟の消滅がもたらしたもの」「ロンドン海軍軍縮条約を利用した統帥権干犯問題。政府から独立して動く統帥部の軍事作戦が外交と政治を壟断した日本憲政史上の最大の失敗(日本が道を誤ることになる最大の原因)」「満州事変は"下策中の下策"」「第二次上海事変こそが日中戦争の真の発火点」「独ソ不可侵条約でハシゴを外された日本」「松岡外相、ヒトラーに振り回される」「対日石油全面禁油の意味、連合国の逆鱗に触れた南部仏印進駐、恐るべき国際感覚の欠如」「日本を終戦に引っ張った鈴木貫太郎、陸軍を抑えた阿南惟幾大将の割腹自殺」「第二次世界大戦後の世界――民族自決、人種差別撤廃、共産主義の終焉」「米中国交正常化と戦略枠組みの変化」等々を剔抉して語る。

そして、「普遍的価値観と自由主義的国際秩序」「価値の日本外交戦略」「自由で開かれたインド太平洋構想」等について述べる。「日本が20世紀前半に大きく道を誤ったのは、欧州を中心とする弱肉強食の権力政治にとらわれて、人類社会の論理的成熟を待つことができなかったからである」「これからの日本に必要なのは、世界史的な次元でリーダーシップをとれるリーダーである」という。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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