死ねない時代の哲学.jpg人生100年時代――それは、細菌やウイルスの攻撃によって「理不尽に」命を奪われる時代から脱し、老化によるさまざまな機能の劣化によって「必然的な、あるいは自然な死」を迎えるという流れにたどり着いた今の状況だ。しかし、私たちは「なかなか死ねない」時代に直面しているともいえる訳だ。歴史上はじめて、一人ひとりが自分の人生の終わり方を考えざるを得なくなったことでもある。科学哲学者・村上陽一郎氏が、「死」というものを考える道筋を示してくれている。生老病死、科学・哲学の世界を深く考えさせる必要不可欠、納得の書だ。

そこで立ち現れてくるのが永遠の難問である「死」をどう考え、どう迎えるのか。死は自己決定できるか。死生観、安楽死、尊厳死、終末期医療等々の問題だ。21世紀に入り、安楽死をめぐる世界の状況は大きく変わってきた。世界各国で安楽死、もしくは医師による自死支援(PAD)が認められるようになってきているという。安楽死は、医師が直接、死ぬための薬を投与する行為、PADは、死を希望する終末期の患者が、医師から死ぬための薬物、方法を与えられ、それを使って自ら死ぬこと。これを「積極的安楽死」と呼ぶ。一方で、延命治療を患者の意志で中止するのが「消極的安楽死」で、日本ではこれを一般的に「尊厳死」と呼ぶ。オランダ、カナダ、コロンビア等でPADと安楽死がこの20年程で認められ、1975年の「カレン事件」を受けアメリカでは「尊厳死」が容認され、アジアでも韓国と台湾で「尊厳死」(延命治療の中止)を認める法律が近年施行されているという。

しかし、これが"時流"などという軽いものではなく、「死は自己決定できるか」「安楽死の要件」という最大の哲学的・科学的問題に直面していることを語るのが、本書の凄い所。患者自身、医師の覚悟、死の関係者への広がりを含めて哲学、倫理と生死の現実の葛藤が濃密に語られる。思索の深さが心に浸透してくる。「死を避ける方法がなく、死期も間近い。患者に耐え難い、見るに忍びないほどの肉体的苦痛がある」――。医療現場、司法等々、ギリギリの模索がこの50年、世界で続けられている。「米のカレン事件(1975年)」「米の医師キヴォキアンの点滴タナトロン(1987年)」「オランダのポストマ事件(1971年)」「名古屋安楽死事件と司法の安楽死要件(1962年)」「東海大安楽死事件(1991年)」「川崎協同病院事件(1998年)」「7人の終末期患者が生命維持装置を外され死亡した富山県の射水市民病院の事件(2006年)」・・・・・・。法制化はこのデリケートな問題については難しい。「オランダ等のようには法的に安楽死を認める方向には、日本社会は進まないだろう」「私はあくまでも原則としてですが、PADや安楽死は常に否定されるべきものではない、という個人的な意見を持っている」という。なだいなださんは「法律になじまない問題だと考えてきた。安楽死が法的に認められてしまうと、権利や義務の意識でこの問題に対処するようになるのではないか、と危惧する」といっており「私も全く賛成です」と村上さんはいう。自己決定については、「本人の意志は欠かすことのできない必要案件であるが、十分案件とは言えない。本人はそう考えているけど、どうしましょうか、という所から初めて議論が始まる。・・・・・・自己決定の原理そのものが最大限尊重されるべきであることに異論は少ないでしょう。ただしその中に死も含まれるか、ということになると、人それぞれ思いは違ってくるはず」ともいう。「自分の運命は自分のもの」という考え方について、また「自己決定と自己決定権の違い」についても述べる。生命倫理学者の小松美彦氏の著書「『自己決定権』という罠」の「死は関係のなかで成立し、関係のなかでしか成立しない事柄なのだから、人は死を権利として所有も処分もできない」を引きつつ、「自分の人生ですから、それをどうするかについて、刻々自己決定を迫られる。けれどもそれは、権利として、その人の生あるいは死を覆うわけではない、という彼の主張にはうなずかされるところがある」という。さらに「安楽死で逝きたい」「周りの人に迷惑をかけたくない」という思いが、その時の自己決定であっても、「人間の意志は変わりうる」ことも事実だ。この長寿社会、死ねない時代、そして安楽死や尊厳死、終末期鎮静、自己決定、個人主義と民主主義社会の問題は、現前する難問であるが、その問題の提起する深さを剔抉している。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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