韓国で高い評価を受けている女性作家のチョン・イヒョンの短編集。繊細で生き生きとした描写力を、微妙な情感を包むかのように訳している。かつての"むき出しの暴力の時代"ではないが、「今は、親切な優しい表情で傷つけあう人々の時代であるらしい」「"優しい暴力"とは、洗練された暴力、行使する人も意識していない暴力だ。それはまた社会に広く行き渡った侮辱の構造の別名である」という。
そこそこの豊かさの時代は、他者への無関心の進行と並走しているようにも思う。社会や他者との間にわかり合えない"違和感"と"孤独感"をイライラのなかで募らせているのが現代かもしれない。「ミス・チョと亀と僕」は都市でひっそりと暮らす主人公と老婦人。亡くなった老婦人から「ちゃんと育ててくれそうだから」と亀を遺産として受けとる。「何でもないこと」は、フライパンのガラスのふたが爆発、製造元に問い合わせるが、淡々と機械的な対応で苛立つ。一方、十代半ばの娘が妊娠・出産する深刻な"事件"も、周りは平然と"何でもないこと"のように進んでいく様子が描かれるが、まさにそれ自体が"優しい暴力の時代"ということだ。「私たちの中の天使」「ずうっと、夏」も、後悔のなかで長く子どもたちを育てていくことや、日本人と韓国人の夫母をもった女性の海外生活の"生きづらさ"などが繊細に表現される。「アンナ」では英語幼稚園になじめない子どもと、温かく接してくれた母親の同窓生アンナの起こした"ヨーグルト騒動"が描かれるが、韓国の英語志向やチョンセという住宅事情の背景が浮き彫りにされる。「夜の大観覧車」「引き出しのなかの家」「三豊百貨店(1995年に起きた百貨店の崩落事故)」も、社会の変化するなかで人々が何らかの苦難に遭遇している様を、じわっと静かに描き出している。