ラフカディオ・ハーンと日本の近代  牧野陽子著.jpg「日本人の<心>をみつめて」が副題。ラフカディオ・ハーンがこれほど日本と日本人、日本文化を深く理解していたのか、驚嘆する。ハーンは1850年にアイルランド系英国人の軍医を父に、英国軍が駐屯していたギリシャの島の娘を母に、ギリシャで生まれ、アイルランドの親戚のもとで子供時代を過ごす。来日したのは39歳の時、松江に英語教師として赴任、「知られぬ日本の面影」を著わしたのが1894年。1904年、東京の西大久保の家で没した。1894年とは内村鑑三が「代表的日本人」を著し、1900年には新渡戸稲造の「武士道」、岡倉天心の「茶の本」は1906年だ。この1900年前後、欧米の近代文明を受容し翻弄された日本のなかで、「日本人とは何か」を問いかけようとした人々の営みが噴出し、外国へも「日本人」を発信しようとした時だ。幾多の来日外国人の日本人論のなかで、最も優れた観察力と深い共感の眼差しをもった人物としてハーンを描く牧野さんの洞察に感銘した。

異文化・日本を訪れ、街の清潔さや勤勉さを賞讃した訪日外国人は何人もいた。しかし、その人達も「西洋」を絶対の視座としてキリスト教の絶対神と文明の優越性により、日本の後進性を観ることを拭い去ることができなかった。祖先崇拝や自然崇拝を観て日本の宗教哲学がいかに空虚なものであるかと蔑視する者も多かった。日本人自体が「西洋」のダイナミズムを羨望のなかに受容したことからいって、当然といってよいだろう。しかし、ハーンは日本の風物や文化、民俗、信仰心、宗教的感性、自然観、死生観等々、まさに「日本人の<心>」を見つめたのだ。生まれも育ちも松江も辺境であったこともあったであろう。牧野さんは、それを浮き彫りにしつつ、さらに「ラフカディオ・ハーンが見た寺と神社の風景」「神社空間のダイナミズム(魂のゆくえ・風・里山の風景)」「福井の朝のグリフィスと松江の朝のハーン(宗教と生活。宗教という魂の領域と人々の日々の生活の情景の結び付きを見た)」「棚田の風景――グリフィスの民話集のなかの2つ『蛍姫の求婚者』『雷の子』(蛍の美しさと雷神の贈り物を把える感性、人と自然の照応)」など日本人の精神的基底部へと掘り進めて論述する。

そして「ハーンと日本近代」を、「柳田國男の『遠野物語』(怪異譚の再話と民族学)」「柳宗悦の民藝運動(朝鮮文化の自立性の擁護)」「芥川龍之介の『南京の基督』」「『雪女』の"伝承"をめぐって」などで掘り下げる。「この世と異界をつなぐ」「心の闇の深さ」を多重的に表現する"怪談"は民俗の本質に迫るものであること、李朝白磁の美が悲哀や苦悩ゆえに醸し出される神々しさであること、「日本人の微笑」が苦悩・悲哀・死・抑圧・受け身・被支配・自己否定の美的昇華などの要素が不可分の関係でつきまとうといえることなどの分析は圧巻ともいえる。西洋的近代の視座から批判される「日本人の個性の欠如」は、意識的かつ自発的な自己抑制の精神によって規制されたものであり、ハーンは「古き日本の文明は、西洋文明に物質面で遅れをとっていたその分だけ、道徳面においては西洋文明より進んでいたのだ」と結論づけているという。

さらにイザベラ・バードの「日本奥地紀行」、キャサリン・サンソムの見聞記「東京暮らし」や回想録「ジョージ・サンソン卿と日本」、林芙美子の「浮雲」などを比較しつつ、山・樹林・雨という自然のサイクルのなかで昇華される日本古来の宗教的感性・伝統慣習と近代合理主義との軋みを剔抉する。日本文化が優れているとただ単に言っている訳ではない。走ってばかりの今の社会――「日本人とは何か」を常に問いつつ、「国や民族、文化の違いを越えたところにある普遍的かつ根源的な人間の心」に迫ろうとする営為が大切なことを、ハーンを通じて問いかけていると思う。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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