利生の人.jpg鎌倉末期から建武の新政、南北朝時代と複雑・混沌の激動期。足利高氏(尊氏)は、帝方で奮闘する楠木正成に呼応するように立ち上がり、鎌倉幕府を倒す。後醍醐天皇の建武の新政が始まるが、急進的な改革は混乱を生み、武家も公家も私利私欲と戦乱のなかでの確執を増幅させ、戦が止むことがなかった。その主役となった、後醍醐天皇、足利尊氏、楠木正成は、時代の運命に翻弄され、引き裂かれていくが、心の奥底の心では深く結ばれていたことを描く。「太平記」に始まり、今日に至るまでのあまたあるこの時代の史実書、小説に、新鋭の小説家が骨太に挑む。傑作。

利生の国を成す――。正成も尊氏も後醍醐帝も、覚心禅師の法燈の禅を心中に共有する。3人とも「もとをただせば法燈の志をきっかけとして、利生の国を目指そうとした。いまでも、それは変わらない。ただ役割が違う。それぞれの役割において、為すべくを為そうとしたとき、敵味方に分かれた」「衆生に仏の利益を垂らすことを"利生"という。ならば、衆生がみずからの本性を尽くして利生を成し合う国こそが、悟れる国なのではないか。・・・・・・正成は、ひとりの同門と出会う。それが御醍醐帝だった。(後醍醐天皇は)法燈の禅に触れ、利生の志を持ちながら現実に為せず、それでも狂おしいほどにもがきつづける、すめらぎ」「法燈の禅――。出家ひとりの悟りに留まることを良しとせず、悟った者が今生で為すべきを、多くの衆生が俗世に在ったままで大きく悟る道を求める。正成はそこに道を求めた」のだ。過酷なる不条理の俗世に「是の法を行ずる」のだ。

最後の「湊川」の戦い。足利との和睦を進言する正成。容れられず最前線に立つ正成の戦いと、対する尊氏の正成を思う心情と慟哭。「命を、数にするな! それを失わせる戦を起こす覚悟が、その命をすべて背負うと決められた楠木殿のお覚悟が、何故分からん!」という尊氏の怒気が本小説の最後まで貫かれる。最後に京都・嵯峨野の寺院の墓所に並ぶ足利と楠木の家紋が描かれる。学生時代、京都に住んでいた私も知らなかった。1330年代の複雑な激動の時代の軸が見えてくる。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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