副題は「大学・スポーツ・企業の社会学」。「体育会系の学生は就職活動で本当に有利なのか」「『体育会系神話』は、どのように生まれ、どのように変遷してきているのか」――。生成過程から今日に至るまでの状況を統計データから観察、分析する。
「体育会系神話」は日本の近代化、富国強兵の「国民の健康を保全し、体力を増進する、有用な身体」の方針を起源とする。「健全なる精神は健全なる身体に宿る」――日本近代の近代化初期(大正時代)の社会状況から生まれ、ピークは1980年代から1990年代初頭だ。その条件は、「威信(ランク)が高い大学」の「伝統的チームスポーツ部(野球・ラグビーなど)」に属する「男性」という類型が抽出される。それが今、「大学生の増加(エリート体育会系とノンエリート体育会系の分化)」「実業団・企業スポーツが保持できなくなった経済状況」「(優秀な)女性の社会進出」「スポーツ自体の多様化」など、社会の激変のなかで変容をもたらしている。「諦めない」「打たれ強い」「人当たりが良い」「チームワークを大切にする」「協調性がある」などの特徴が、近未来の企業等の"人材要件"に直結するとは限らないのだ。「体育会系神話」の揺らぎや変容だ。日本の大企業型雇用慣行のメンバーシップ型に対し、ジョブ型が加わってきているし、メンバーシップ型採用では大学院が重視されてこなかったということもある。
日本の大企業型雇用慣行は、学習内容よりも大学威信(ランキング)に固執する世界では特異な教育慣行(いわゆる学歴主義)があったという。そこで「大学でスポーツをすることは必ずしも学生の成長を促すとは限らない。大学で単にスポーツ部に所属することが重要ではなく、そのスポーツ(クラブ)の活動にどう取り組むかが重要なのだ」と指摘し、「コロナ禍で、大学スポーツ、教育とキャリア形成に対するスポーツの意義を見つめ直してほしい」と、大学スポーツに直接携わった思いを込めて語っている。