keiei.jpg「構造的問題と僕らの未来」が副題。「社会学は社会の複雑な現象・変容をどう捉えるか。『構造的問題』として理解することが重要だ」「社会の『底』が抜けてしまっている」「『安全、快適、便利』なのになぜ生きづらいのか」との認識がある。そして「汎システム化とヒューマニズムの持続可能性の危機にいかにして対峙すべきなのか」という問題意識がある。

「生活世界」と「システム世界」――。人間らしい情の交いあう顔見知り同士の「生活世界」が、匿名性とマニュアルに従う「システム世界」に侵食されて、やがて完全に取って代わる汎システム化、システム世界の全域化になっていく。そこでは、流動的な労働市場で、社員や店員は「過剰流動性」と「入れ替え可能性」にさらされる。大企業のエリート社員、エリート官僚も同じで、「自分は一体何者であるのか」との「人間存在をめぐる不安」「孤独」から逃れられなくなっている。「安全、快適、便利」の一人ひとりの欲望の行き着く先が、この「システム世界の全域化」であり、「感情の劣化」「不安・孤独の暴発」という人間存在の変容をもたらしている。孤独に耐えられないことから無差別殺人事件などの悲惨な事件が起きる。

それに加えて、テクノロジーの進化、ネット社会の加速が、本来DNAに刻まれてきた人間性をも押し潰し、「仲間としての人間関係」「われわれ意識」を遮断し、人間関係は「損得化」に堕していく。さらに社会には秩序が必要であり、そのための統治が必要だが、「『まとも』に生きようとするより、『うまく』生きようとする『あさましい』『損得野郎』が溢れてくる。社会と人間の劣化がとめどもなく進む」と指摘し、嘆き、弾劾する。まさに「社会の『底』が抜けてしまっている」わけだ。国民=仲間から始まった国民国家は希薄化し、個人の主体性を頽落させて、民主政を世界中で機能不全に陥れさせ、社会の統治をいっそう困難にしているのだ。

それでは「システム世界の全域化と共同体の空洞化にどう向き合うか」――。ヨーロッパの知識人たちは伝統的にシステムを警戒し、スローフード運動などを通じてシステム世界の全域化に抗ってきたが、濁流に飲まれて挫折してきた。対称的アプローチをしたのがアメリカで、成員が「快・不快」で動く動物であっても社会が回るような統治のあり方を追求した。マクドナルド化をディズニーランド化によって埋め合わせるマッチポンプ的発想だ。これをさらに進めようとしているのが、新反動主義者や加速主義者だが、ともに我々の望むところではない。同感だ。「快・不快」の動物的性質を利用した統治よりも、人々の善意と主体性を基礎に置く統治を望む。「うまく」生きる人よりも、「まとも」に生きる人が溢れる社会こそ、「よりよい社会」だ。「テクノロジーやシステムを全否定はしない」「小さなユニットから再出発し、食やエネルギーの地産地消をテコにテックやシステム社会と共存する形で、(疑似)共同体自治を確立せんとする」といい、その波及を展開したいという。政府や市場を否定することなく、中間集団の(再)構築、小さいユニットから「われわれ意識」を取り戻すという提案だ。これには当然、人々をエンパワーするリーダー、利他的・倫理的で信頼されるリーダーが必要だが、「ミメーシスを起こす人間たれ」と講義を受講する人に呼びかける。社会と人間の変容にどう立ち向かうか。指摘しているのは考えているうえでのリアルである。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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