tonosama.jpg幕末から明治初期、各大名がいかに苦闘したか。江戸三百藩は攘夷と開国、佐幕と倒幕、公武合体政策と大政奉還と王政復古の大号令(新政府樹立宣言)、戊辰戦争での各藩の決断、そして明治に入っての版籍奉還、廃藩置県などで揺れに揺れた。藩が一瞬のうちに消滅して、「殿様」はどう明治を生きたか。

「維新の波に抗った若き藩主たち」――。会津藩主・松平容保(朝敵にされた悲劇の大名、不幸の始まりは松平春嶽に要請されて京都守護職を引き受けたこと)、桑名藩主・松平定敬(松平容保と行動を共にした実の弟)、請西(じょうざい)藩主・林忠崇(藩主自らが率先して薩長と戦う。一時は農民になった)、紀州藩主・徳川茂承(敗走した旧幕府軍兵をかくまい、新政府から敵のような扱いを受けた。陸奥宗光に助力を求める)・・・・・・。

「徳川慶喜に翻弄された殿様」――。水戸藩主・徳川昭武(兄徳川慶喜の身を案じた仲の良い16歳も年下の弟。趣味に生きた晩年)、福井藩主・松平春嶽(徳川家存続のために奔走するが徳川慶喜に裏切られ続けた。坂本龍馬の理解者)、土佐藩主・山内容堂(戊辰戦争の勝者だが、新政府のやり方に不満、酒浸りの晩年)、尾張藩主・徳川慶勝(実の弟が松平容保と松平定敬。弟たちと敵味方で刃を交えるが、後に弟たちの助命活動。倒幕に動き、諸藩を新政府の味方につけたが故に、新政府が苦もなく江戸に到達できた。趣味の写真を残した)、静岡藩主・徳川家達(幼くして徳川宗家を継いだ16代目当主。徳川慶喜を嫌い、明治では大いに政治的手腕を発揮し、天皇から組閣を命じられたほどの大政治家。貴族院議長を31年間)・・・・・・

「育ちの良さを生かして明治に活躍」――。徳島藩主・蜂須賀茂韶(祖先の不名誉な噂を払拭するために外交官や官僚として活躍)、広島藩主・浅野長勲(3人の天皇と心を通わせた最後の大名。財政を確保するために製紙会社を設立)、岸和田藩主・岡部長職(長年の欧米生活、外交官として活躍、東京府知事)、米沢藩主・上杉茂憲(沖縄の近代化に尽くそうとした名門藩主)、津和野藩主・亀井茲監(国づくりは教育にありを実践)・・・・・・。

どの人も波瀾万丈の人生。大変な決断と心労だったと思う。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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