老害をまき散らす老人たちと、それにうんざりして「頼むから消えてくれ」とさえ思う若年層。両者の活劇のような物語を書けないものかと、かなり前から考えていた――。そう内舘さんは言う。
物語の舞台は埼玉県川越市に隣接する「岩谷市」。老害の主人公は、戸山福太郎。双六やカルタ、トランプなどのゲーム製作販売会社の前社長。娘婿に社長に譲ってからも出勤、長い昔話、手柄話を繰り返し周りを困らせている。彼の仲間も老害の人ばかり。俳句と絵自慢の吉田夫妻、クリーニング屋で病気の事ばかり語る「病気自慢」の竹下勇三、「死にたい死にたい」とすぐ言う春子、その息子の嫁・里枝は「孫自慢」ばかり。福太郎、吉田夫妻、竹下、春子はあたかも"老害クインテット"。あるある話満載。自分もまた、と思う。
そして、ついに福太郎の娘・明代がとうとうキレて、日ごろは言えない本音を父親に叩きつける。「80代半ばの父親は反省し、二度とやらないと謝罪。その哀れっぽい姿に、娘は言い過ぎたと落ち込む」のだ。これもあるある。ところが父親は、裏で老獪な逆襲を企んでいたのだった。老害の人を集めてサロンをつくってしまう。
「でもね、これも本で読んだわ。昔話をすると体にドーパミンが出て、気分が良くなるんだって」「死にたいとか食べたくないとか言うと、周りが心配してくれて、嬉しいだけなんですよ。生きたいんだね。本音は」「先日、福太郎さんが『遠慮して謝って生きている年寄りは悲しい』って。その通りです。でも、私も年寄りと暮らすイラだちで・・・・・・」「悲しい話は一人で耐えることもできるが、嬉しい話や喜びの話は、誰かに言わないと耐えられない」「仕事というものは、抗うつ薬なのだ。----仕事ではなくサロンに客として来る老人たちにとっても、『教育(今日行く)』『教養(今日用がある)』の場だ。家にも社会にも居場所がない者でも、サロンに行けば必ず誰かがいる。・・・・・・抗うつ薬だ」――。
年齢がいけば、誰しも「老害」に陥る。読みながら考えるだけでも良い。「社会に少しでも還元し、伝える年齢だと気づく。『自分磨き』ではなく『利他』ができないか。小さいことでも主体的にそれができれば、力が湧くはず」と内舘さんは言う。