岩見さんが、2009年から2011年2月まで、「毎日新聞(近聞遠見)」「サンデー毎日(サンデー時評)」「選択」などに書いたものをまとめている。
3・11以降は、まさに非常事態だが、それ以前もじつは深刻な非常事態の日本――。「国民も政治家も漠然と不安を覚えながら確たる非常時意識がない。じわ
じわと忍び寄る、始末の悪い非常時である」、そしてそこには、「政治の鈍感と怠慢がある」。さらに政治家の「言葉の貧しさ、軽さや大安売り」が、政治の軽
さと政治不信を増幅させる。
3・11東日本大震災以前の文章だが、「いま政治に求められているのは、非常事態の本質を過不足なく厳密に国民に伝え、貧弱な危機意識と過剰な危機意識の両方を防ぐことだ」――。全くそう思う。
「石油に代わる新エネルギー資源」と副題にあるが、石油文明に変わるのは自然エネルギー・水素社会か、という問いを発している。突破する解は「マグネシウ ム循環社会」――。太陽光発電などの自然エネルギーだけでは石油の代替にならない。水素は運搬や貯蔵が難しい。「太陽熱を利用した淡水化装置を使って、海 水中の塩化マグネシウムを取り出す」「太陽光からレーザーをつくる」「太陽光励起レーザーで酸化マグネシウム(熱を加えて塩化マグネシウムを酸化マグネシ ウムにしておく)を、金属マグネシウムに製錬する」「それを交通機関や発電所などの燃料として利用する」「利用したあとに残った酸化マグネシウムを再び金 属マグネシウムに製錬する」――この循環の研究が進められている。極力やさしく書かれている。挑戦しないと何も生まれない。緊急事態だ。
阪神淡路大震災の1995年1月17日から50日間の記録、そして、今回の東日本大震災に寄せた「東日本大災害のテレビをみつつ」。神戸市在住の精神化医 の中井久夫さんが、あの阪神淡路大震災で被災者、医師、ナース、医療ボランティアの人々とともに格闘した記録だが、「何を見」「どう動き」「何を感じ」た か、観察は現実感覚・責任感覚をともない深く、なまなましい。「内部からみた外部と外部からみた内部との乖離」「1日1日、時間を経るごとに変化していく 重要問題」「戦闘消耗」「災後の共同体感情とその軟着陸」――今、東日本大震災はその「被災者(地)の心」が緊要な課題となっている。必読の書。
2010年4月、北アメリカのメキシコ湾で、国際石油資本のBPの石油掘削施設が破砕され、大量の原油が流出した。これは石油の時代の終わりの始まり、時代を画する事件ではないか――こういうことから二人の対談が始まる。
「迷った時こそ、大きな絵を描け」と田原さんは結んでいる。迷った時は原点に戻れ。教育とは何であるか、人を育てるとはどうすればよいのか。何が今問題なのか。そのなかでデジタル教科書を考えよといっているわけだ。
デジタル教科書時代は、教師は必要か、何であるのか、学校とは、教育とはを問いかける。そして本書では、その背景として「詰め込み」から「ゆとり」へ、そしてその見直し、そうした教育の迷走と21世紀型の教育を模索する歴史を追っている。