世界で戦える「製造業」をどう守るか――と副題にある。このままでは、「メイド・イン・ジャパン消滅」へ進むが、財部さんは、「メイド・イン・ジャパンは不滅だ」と結論づける。そこが、机の上の学者と日本企業の悪戦苦闘を現場で知り、同苦しながらも未来を拓こうとする財部さんと違うところだ。
日本の企業の経営者には、「従業員の雇用を守り、世界に喜ばれる商品をつくり続けよう」という気概があり、必死さがある。それがあるゆえに「不滅だ」と結論づけた。それは財部さんの意思だ。
超円高、電力不足、高い法人税、厳しい労働規制、スピード感のない貿易自由化・・・・・・。国内生産への執着をもちながらも、企業経営者のマインドは、「持ちこたえられない」と急速に離れつつある。瀬戸際だ。
そのなかで、岐阜にある"日本一のグローバル企業"森松工業の松久信夫社長の「メイド・イン・アジア」への大胆な戦い。従来と違い、生産現場の技術でも"逆転現象"があり、日産「マーチ」の"逆輸入"戦略に踏み込んだ志賀俊之COO。日本唯一のDRAM専業メーカーのエルビーダメモリの戦略。「メイド・イン・ジャパン最後の砦」トヨタの執念。
無責任な経済成長不要論や敗北主義に立ってどうするのか。日本社会は製造業を本当に見捨てていいのか。企業は死に物狂いで戦っているではないか。評論ではない。現場と共戦する財部さんの声が本書からビンビン伝わってくる。
5つの短編。「城を噛ませた男」とは、真田昌幸が策略をめぐらし、秀吉の力によって北条家を滅ぼして自ら生き抜く話。敵も味方も踏み石として出頭する策略家。
「見えすぎた物見」は、「佐野家は先を見通すことによって生き残った」ということと、関東一の物見の五助と清吉。頭を下げ続け、見通すことと頭を下げ続けて生き抜く佐野氏の筆頭家老の天徳寺宝衍。
「鯨のくる域」は痛快。弱小・伊豆の雲見の丹波守政信が押し寄せる西の大軍を鯨取りらしくけちらす話。
「椿の咲く寺」は徳川家と北条家の天正壬午の乱。父の丹波、兄の善十郎、初音(妙慧尼)が家康を討とうとする話。終わりは大ドンデン返し。
「江雪左文字」は小早川秀秋の寝返りを家康に託された江雪の話だ。家康と小早川秀秋の、狼狽ぶりが出ている。
いずれも1550年 - 1600年の関ヶ原まで。弱小であるがゆえに智慧と胆力、そして策略、死をかけて闘わざるを得なかった者たちの生き様が活写されている。
昭和の戦争、「死刑」と「無期」の心理研究、死生観を変えた正田昭との出会いと本心。遠藤周作氏からの批判、突然の妻の死、阪神大震災の救援活動、東日本大震災と原発・・・・・・。医師として、作家として、信仰者として、科学と宗教と死を思索し続けた加賀乙彦氏がじつに静かに率直に語る。
「科学を追及するほど謙虚な気持ちが生まれる」
「科学は発展する。ならば宗教も発展していかねばならい・・・・・。新しい道徳のようなもの、哲学のようなもの」
「科学とは別の、科学を支える叡智があると思う」
「科学を突き詰めていくと無限に突き当たり、そこに神秘が顕れる。有限を支える無限。科学を支える叡智」
「祈りとは、無限なるもの、人知の及ばぬ、はかり知れない、不思議なもの、(無限の暗黒)との接触の場を作っていくものなのでしょう」
「今の世の中では、死と離れ、物の豊富さを幸福と思うような傾向(長生きと物質的幸福)があらわになってきた」
「民衆の底辺へ、身一つで入っていって、その人たちのために働く」
仏法の哲学と実践、宇宙と人生、師弟を考える。