
「見えすぎた物見」は、「佐野家は先を見通すことによって生き残った」ということと、関東一の物見の五助と清吉。頭を下げ続け、見通すことと頭を下げ続けて生き抜く佐野氏の筆頭家老の天徳寺宝衍。
「鯨のくる域」は痛快。弱小・伊豆の雲見の丹波守政信が押し寄せる西の大軍を鯨取りらしくけちらす話。
「椿の咲く寺」は徳川家と北条家の天正壬午の乱。父の丹波、兄の善十郎、初音(妙慧尼)が家康を討とうとする話。終わりは大ドンデン返し。
「江雪左文字」は小早川秀秋の寝返りを家康に託された江雪の話だ。家康と小早川秀秋の、狼狽ぶりが出ている。
いずれも1550年 - 1600年の関ヶ原まで。弱小であるがゆえに智慧と胆力、そして策略、死をかけて闘わざるを得なかった者たちの生き様が活写されている。