三島由紀夫  熊野純彦著.jpg1970年11月25日――。三島由紀夫が自決して今年で50年になる。あまたある三島由紀夫論のなかでも、本書は「戦後民主主義の擬制」「天皇(制)」「日本文化の防衛」や「政治的計画」「私生活」などは除かれ、ひたすら小説等を読み解き、その生と思考の軌跡を明らかにしている。三島由紀夫として、文学者として、小説家として、作家として、芸術家として、キメ細かく書き分けている。眩いほどの"天才"が、何に憧憬し、何に渇え、何に苦悩し、何を究めようとしたかを、作品を関係者の証言も含めて時系列的に読み解いていく。「花ざかりの森」「岬にての物語」「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「鏡子の家」「憂国」「午後の曳航」「春の雪」「豊饒の海」――。

はじめに高橋和巳の三島論「仮面の美学――三島由紀夫」が出てくる。「清冽な処女作『花ざかりの森』」「夭折の美学」「硬質の知性」を語っている。私の大学時代、同じキャンパスにいた高橋和巳、そして三島由紀夫は、左右両翼の"教祖"にも似た存在であった。三島の自決が70年、高橋の病死が71年、翌72年は三島を守った川端康成の自殺。私の学生時代は三人の総仕上げの時だったわけだ。そして戦後の思想、論争はこの時一つの区切りとなってることを今、しみじみ思う。

三島の小説に投影される心象は、「美と死」「精神と身体」「絢爛たる才能と危険なまでの激情の純粋昇華(川端康成)」「太陽と海」「有と無」「存在と非存在」「永遠と瞬間」「認識と行動」「破壊と創造」を時を経るごとに掘り詰めている。そして三島は「表現者は死を暗示するだけではなく、じっさいに死んでみなければならない」と主張する。「金閣寺」では、世界からはじき出される「世界との隔絶」「この世への拒絶」「世界を変貌させるのは行為」、認識の境地から行動へと踏み出して世界を破壊するとともに創造し直す。瞬時の三変土田であり、「決定的なものとは時間の流れを堰き止めてなにごとか、瞬間のうちに永遠をやどし、永遠を瞬間のなかに封じ込めるなにものかとなるはずである」というのだ。「豊饒の海」の大尾に「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまったと本多は思った。庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる。・・・・・・」とあることを、著者は「三島由紀夫の生涯でおそらく最高の美文である。小説家は、これといって奇巧はない。しかし、このうえなく閑雅な一文を最後の作品として、文学者としての生涯を閉じることを望んだのである」と語っている。この最後の一文の境地に向けて、なるほど三島は走り続けたのだと納得する。すばらしい評伝。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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