
福田恆存氏は「乃木将軍と旅順攻略戦」で、「歴史家が最も自戒せねばならぬ事は、過去に対する現在の優位である。吾々は二つの道を同時に辿る事は出来ない。・・・・・・当事者はすべて博打を打ってゐたのである。丁と出るか半と出るか一寸先は闇であった。それを現在の『見える目』で裁いてはならぬ。歴史家は当事者と同じ『見えぬ目』を先ず持たねばならない」といっている。
乃木希典と児玉源太郎という双曲線となって明治を生きた二人の軍人の人生。それをたどるのが本書「斜陽に立つ」の物語だと、古川薫氏はいう。そして司馬遼太郎氏の「殉死」「坂の上の雲」でいう乃木愚将論は史実と違い、誤りであり、理不尽という。
「弾丸は回せない、旅順は肉弾でやれ」――そこに生じた悲惨な犠牲は乃木愚将論に帰すものではなく、海軍が陸軍の作戦に介入してまで旅順攻撃を急がせたことをはじめ、数々の要因がある。現代の安全地帯にいる者が、観覧席から嘲笑するがごとき言動を痛烈に批判している。
乃木希典の生と死、生い立ちと生きざまのなかに、「斜陽」「落日」などの萎れた類語が乃木詩に目立つのは、残照のなかに悵然とたたずむ自分を風景化させているのだ、と古川氏は描いている。
本書は次の言葉で結ばれている。
「憂い顔のままに乃木希典は、斜陽に立つ孤高の像を今の世に遺した。自敬に徹したこの最後のサムライにとって、世上の毀誉褒貶は無縁のざわめきでしかなかった」
そして「あとがき」で、本書の執筆について「不幸感を背負って、ナンバー2の座位を生き抜いた19世紀生まれの児玉源太郎、憂い顔で斜陽に立つ乃木希典の寡黙な生きざまへの共感である」と古川氏は述べている。