たとえば井伏鱒二について、「井伏鱒二の文章から伝わってくるのは、気取りもせず力みもしないが、贋物と真物とをしっかり見わけ、真物だけがそこに残されている心地よさである」「観念に惑うこともなく、一時の流行に染まることもなく、そこにはいつもゆったりと微笑を浮べ、自分の目で物を見、自分の見たところだけを信じている人がいる。この人がいる限り人間は大丈夫だという安心感はそのところからくるようである。井伏鱒二のその悠々たる風格に参るのである」と語る。
本阿弥の家の風にふれ、「天命を畏れ、己が心に省みて恥じぬことだけするのが、彼らの人間としての誇り」という。
大石内蔵助について「中心にどっしりと大石内蔵助がいて・・・巧言令色鮮し仁の反対の人間である」という。
良寛を「優游とした無所有」といい、「日本人は貧しさに強かった。貧しさに堪え、貧しさにもかかわらず心のゆたかさを求める文化を作りあげてきた」とし、最近、「物質的ゆたかさに酔い、ゆたかさには全く抵抗力がないことが判明した」と嘆く。
師とたのむ大岡昇平の「人間の根源的な問題と対決する姿勢を失った時、人間も文学もだめになってしまう」という言葉が語られる。
「私にとって生きるのは、『今ココニ』という時空があるだけである。・・・『今ココニ』がごろごろころがっていくところに私の人生がある」――。
中野孝次さん、2004年に逝去。79歳だった。