「上り坂の儒家、下り坂の老壮」という。孔子は難しいこの世を価値ある目標を定めて努力する立場だが、老壮思想は違う。田口さんが論語の一言、老子の無言 というとおりだ。言葉を絶対視しないで実感による体得を重視する。欲にとらわれれば、果てしなき渇望の世界にからめとられる。見えない、聞こえない世界、 その深さを我を離れて感得するところ、道が見える。「絶対自由の境地」、「名人・達人の領域」に悟入する。
「常無は以って妙を観んと欲し、常有は以って其の徼(けふ)を観んと欲す」「無為不言」「足るを知る者は富む」「見素抱朴少私寡欲」「逍遙遊第一の樗牛の
話」「無為を為し、無事を事とし、無味を味はふ」「善く戦に勝つ者は争はず」「上善は水の若し」――。そして「知る者は言はず、言ふ者は知らず」、まさに
知性や能力、仁徳もキラリと輝く資質を見せず、「何も知らない」通俗性のなかに紛れる「玄同」の実践を老子は言う。
現代社会にあって最も深刻なのは、哲学が不在であることだ。とくに政治家に。
現代社会にあって最も深刻なのは、哲学が不在であることだ。とくに政治家に。