昭和20年代にはまだそうした日本の社会があった。なつかしい。私の田舎の(三河)の言葉が、神田や小石川に出てくるのは、なぜだろうか。いろいろな思い
を心に浮かべさせてくれ、声を出してたどるように読んでしまう。それは子どもの心にうつる世界をピュアに描き切っているからだろうか。それとも明治の終わ
り、政治・外交の激動の時代の渦中にも、知性の軸がしっかりしているからだろうか。
最近、あっちこっちで、中勘助の「銀の匙」を耳にする。読んだのはおそらく学生時代以来だと思う。
最近、あっちこっちで、中勘助の「銀の匙」を耳にする。読んだのはおそらく学生時代以来だと思う。