20110805-book.png 辛亥革命(1911年)から100年。「君は兵を挙げたまえ。我は財を挙げて支援す」――梅屋庄吉が孫文を生涯、支援した資金は、今でいえばなんと1兆円 とも2兆円とも。辛亥革命後のクーデターで失脚して亡命した孫文と宋慶齢の結婚式も、新宿区百人町の梅屋庄吉の広大な邸宅で行われる。
  日中というより世界をまたにかけ、アジアの独立富強に動いた梅屋。孫文、宮崎滔天、頭山満、萱野長知、そして犬養毅・・・・・・人脈もケタはずれ。財力が あるというだけではない。困っている人を放っておけない。人助けの義侠心。それもケタはずれだ。さらに孫文が日本で行った遺言とも言うべき最後の有名な演 説――。「日本民族は、すでに一面欧米の覇道文化を取り入れると共に、他面、アジアの王道文化の本質を持っている。今後日本が世界の文化に対し、西洋覇道 の犬となるか、あるいは、東洋王道の干城となるか、それは日本国民の慎重に考慮すべきことである」。孫文の大アジア主義、民族・民権・民生の三民主 義・・・・・・。「梅屋庄吉は孫文に惚れ込んでいた」といわれるが、そうではない。アジアへの、弱者への思いあふるるなか、一緒に革命をやり、プロデュー スしたのではないかと、筆者小坂文乃さんは書いている。小坂さんは梅屋庄吉の曾孫。あの松本楼を営む小坂家。縁は今も続いている。日中激動の1900年を 前後する約50年間の歴史は生々しい。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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