
平将門・藤原純友の承平・天慶の乱(935年?941年)
前九年の役(1051)
後三年の役(1083)
院政(1086)
源義家の昇殿を許可(1098)
保元の乱(1156)
平治の乱(1159)
平清盛が太政大臣(1167)
源頼朝の挙兵(1180)
壇ノ浦の戦(1185)
鎌倉幕府の成立(1192)
後鳥羽上皇の討幕と幕府の反撃の承久の乱(1221)・・・・・・。
まさに源平興亡の300年だ。
しかし、常に、源平の戦いの上には朝廷があり、戦いには「錦の御旗」を常に掲げた。武士の力は巨大化したが、武家政権を呪縛し続けた朝廷の権威こそ自らの正当性を保障する「錦の御旗」であり、それは幕末まで続くことになる。しかもこの源平激突の時期には院政というシステムまで築かれた。まさに、鎌倉幕府が、朝廷との妥協の上に成立したことが、その後の歴史に宿命的に継続されていく。永久不変におかしがたい「権威」である。
「奢る平家は久しからず」「平清盛悪人説」「屋島や壇ノ浦のエピソード」「頼朝と義経」――。
本書は、それらの真偽、誇張、謀略、逸話と尾ひれ等々についても、解説してくれている。