見える世界、有限の世界、経済における労働価値説、効用価値説などに閉じ込められた世界を、「宗教とは何か」「生産とは何か」「労働とは何か」といった現象の背後にある不可視の摂理の世界、無限の世界から見る。「労働と報酬が正確に数値的に相関したら、人間は働きませんよ」として、「贈与」というキーワードを提示する。予見できない報酬、報恩、感謝、使命、そこに噴出する歓喜。それを生み出す師弟、さらに農業の根っこには贈与がある(恵み)――二人の対談は次々と展開し、飛ぶ。
また、「東洋的な学びがめざしているのは『正解』ではなく『成熟』と思う。正解は即答を理想とするが、成熟は回答を求めない。長い時間をかけて、自分が置かれている文脈が変わり、自分のからだも変わり、それまで見えていたものが見えなくなり・・・・・・。その変化を思い知ることが知的な成熟という東洋的な考え方」などとも語る。
内田樹さんの近著「呪いの時代」も柔らかで刺激的だ。現代ネット社会は記号的に、抽象的に自己肥大化と自尊感情をもつ人間を異常増殖させ、破壊行動をもつ、他者を傷つける人間が英雄視される。
「適切な自己評価を受け容れること。妄想的に構築された『ほんとうの私』に主体の座を明け渡さず、生身の具体的な生活のうちに深く捉えられた、あまりパッとしない『正味の自分』をこそ主体としてあくまで維持し続けること」が喫緊の議題だと指摘している。「荒ぶる神・原発」を鎮める、金だけですべての人間が動くわけではない――など、3・11以後両著の主張は当然ながら重なる。