決断できない、現場を知らない、責任をとらない日本のリーダーがなぜ生まれたのか。日露戦争の大勝利の栄光は、「海の東郷平八郎」「陸の大山巌」に代表される「威厳と人徳」のリーダーイメージを定着させた。「威厳と人徳」は、「作戦にうるさく口出ししない指導者」「重箱の隅をつついたりしない将」の人物像に結ばれていく。それはそのまま参謀まかせの「太っ腹リーダー像」と西南戦争以来の「参謀重視」の日本型リーダーシップの型をつくり、その「参謀重視」は「上が下に依存する」という悪しき習慣を生み、本来の意思決定者、決裁者をわからなくする。そして、机の上だけの秀才参謀たちの根拠なき自己過信、傲慢な無知、底知れぬ無責任が戦場でまかり通るようになる。
「くつがえった津軽海峡説」「参謀教育は何を教えたか」「日本の参謀の6つのタイプ――書記官型(瀬島龍三)、分身型(秋山真之)、独立型(石原莞爾)、準指揮官型(辻政信)、長期構想型(永田鉄山)、政略担当型(石川信吾)」を上げている。「参謀教育とは天才を作ることではない。能率と常識を発揮できる通常人員を育成することにある」(ハンス・フォン・ゼークト将軍)とし、正反対のことをやったのが陸軍大学校であり、海軍大学校であったと指摘している。――"小才子、大局の明を欠く"とも。
太平洋戦争にみるリーダーの条件として「最大の仕事は決断にあり」「明確な目標を示せ」「焦点に位置せよ」「情報は確実に捉えよ」「規格化された理論にすがるな」「部下には最大級の任務の遂行を求めよ」の6つを上げる。しかも、ギリギリの極限状況の判断の成否を具体的実名をあげて示している。関係者、本人にも戦後、直接会って取材もしていることも重い。現在の政治と自分を省みる。