
「イラン革命(1979年2月)」「マッカのマスジド・ハラーム占拠事件(1979年11月)」「ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年末)とそれに対するムジャーヒディーン(ムスリム戦士)のレジスタンス形成」「ジハード団によるエジプト、サダト大統領暗殺(1981年10月)」は、19世紀以降の欧米による植民地化、つまり政教分離の西欧自由民主主義と無神論の共産主義によって、イスラームをはじめとした宗教が政治から締め出されていたことに対する「イスラームの国際政治への再登場」を告げるものだという。そしてエジプトとチュニジアで民衆が政権を奪取した2010年の「アラブの春」――。その後の混迷はそうした世界史的文脈の深化の不十分さにあるという。
イスラーム世界は約16億の人口を抱え、若者も多い。世界の石油埋蔵量の約4分の3を有し、天然資源も豊富で、砂漠ばかりではなく東南アジアやアフリカには豊かな農地が広がる。「世界のグローバル化はアメリカ主導であり、世界のフラット化、単一市場化をめざしている」という内田さんと中田さんは、もう一つのグローバル共同体であるイスラーム共同体との衝突に帰結することを指摘する。「貨幣ベース・市場ベース」のアメリカン・グローバリズムに対して、カリフ制を「生身の人間ベース」と見る。
「イスラーム、キリスト教、ユダヤ教」と副題にあるが、「砂漠、遊牧文化、決断のリーダーシップ、歓待の文化」と「農耕、定住文化、合意のリーダーシップ、断る文化」を対置する。「一神教の特徴を見分けるポイントは、遊牧民の宗教か定住民の宗教か、ということ」という。当然、日本人は典型的な定住の農耕民だ。今では全く別々の宗教になっているユダヤ教、キリスト教、イスラームの三つの一神教だが、そのルーツは同じ中東の砂漠で、同じ唯一絶対の神を戴いて成立した兄弟のような宗教だが、そこに築かれた国家とグローバリズムの現実を、対談のなかで浮き彫りにしている。