
孟子の革命思想と孔子の秩序思想。日本思想史のそれとの関わりと、日本国家の成り立ちと天皇制――。論点は深く根源的で、きわめて明確だ。
「孟子」の核心は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す。是の故に丘民(衆民)に得られて天子となり・・・・・・」であり、最も貴いのは民であり、民主思想でもある。そして「仁を賊なう者はこれを賊と謂い、義を賊なう者これを残と謂う。残賊の人は、これを一夫と謂う。一夫ノ紂を誅するを聞くも、未だ君を弑せるを聞かざるなり」――。天子や君子が孔子のいう仁という徳を持たなかったら、その時は残賊であるから皇位や王位を奪ってよい。易姓革命を起こすことになる。そこに孟子が歴史的に取り上げられて来なかった面があるが、一方、吉田松陰、西郷隆盛、北一輝らの革命家は圧倒的な「孟子」の支持者であった。
しかし日本は、「天皇は人民=大衆ではなく、神の子孫である。・・・・・・神の子孫なのだから姓はいらない」「吉田松陰は孟子の革命思想に心服し、同化している。・・・・・・尊王家の松陰は天皇の位を奪ってもよい、とは論じませんでした。中国では、天の命によって王や皇帝を伐つことができますが、日本の国体では、天皇が神そのものですからね。ここに松陰の国体論の独自性がある(易姓革命を反面教師にしながら松陰の尊王論が出てくる)・・・・・・」という。また北一輝は「『天皇の国家、天皇の国民』という明治国家の国体論ではなく、『日本改造法案大綱』は『国民の天皇』という、まさに戦後の天皇制に近いような主張をした」という。
論語における孔子の場合、「天の命に従う」という精神のあり方、エートスなのに対し、孟子は「至誠」というエートスによって、世の中を動かし、社会を変えていく思想――それを天智天皇、天武天皇、上田秋成、荻生徂徠、本居宣長、吉田松陰、西郷隆盛、北一輝、福沢諭吉、司馬遼太郎など、日本思想史を「孟子」の革命思想から解読している。