
時は流れるのではない。積み重ねられていく。そして"歴史を画する"衝撃的な事件や出来事も因となり、縁となり、結果となって連鎖によって時は経過する。
「客観的な事実などはない。あるのは1人1人の解釈だけ」とニーチェは言ったが、そこまで突き詰めない日常が"流れ"として続く。思考停止といわれればそうだが、むしろ考えもしないということだ。
本書を読むと、赤坂さんの勢いに連れられて時代と日常に入り込む。
「昭和の戦争と昭和天皇」「憲法の憲の意味」「漢字と日本語」「消えた空き地とガキ大将」「安保闘争とは何だったのか」「連合赤軍事件、三島由紀夫」「ジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』」「1980年の断絶(暴力の残り香、戦争の残照が消えた)」「漫才ブーム、お笑いタレント(コメディアンでもなく場の調停者)」「オウムはなぜ語りにくいか」「この国を覆う閉塞感の正体」「保守派という改革派」「東日本大震災」・・・・・・。
問いを発すること、問い続けることなしに、"古い物語"が生き続ける。経済発展とGDPが至上の価値として続く。東日本大震災(津波、原発事故)において、"新しい物語"が可能であったはずなのに、なかなか紡げなかったし、日本社会は"古い物語"にしがみつこうとした。「人は物語に縛られ、逆に物語に操られてしまう存在だ」「物語のつくりかたは、神のつくりかたに似ている。神とは、物語、フィクションの最たるものかもしれない」という。
戦後は私自身の歴史そのもので、生々しい。思い出しながら、考えながら読んだ。