
中村元、1912年(大正元年で元と命名)~1999年。昏睡状態での45分の"最終講義"。植木さんは中村元は何を語りたかったのであろうか、と考える。「やはり中村自身が"夢"としていた普遍的思想史についてであり、東洋思想の積極的な評価を打ち出すことであったのではないか」――。「西洋においては絶対者としての神は人間から断絶しているが、仏教においては絶対者(=仏)は人間の内に存し、いな、人間そのものなのである」(中村元「原始仏教の社会思想」)。「人間の平等」の東西比較だ。
「80歳を過ぎると、やはり徹夜はこたえますね」「人生において、遅いとか早いとかということはございません。思いついた時、気がついた時、その時が常にスタートですよ。("今まさにその時"の生き方)」「慈悲、慈しみの崇高な境地」「『諸法』は『たもつもの』を意味するダルマの複数形ダルマーハの漢訳で『もろもろのことがら、事象、現象』を意味する。いかなる事象にも、その背景において『たもつもの』があると考えているのです。その『たもつもの』によって事象が成り立っていると仏教では考えました」「仏教は、無我ではなく非我を説いて真の自己に目覚めることを強調した」・・・・・・。
生涯かけての情熱と求道の姿勢を「佛教語大辞典の原稿(200字詰め)4万枚、3万語の行方不明事件を乗り越え」「佛教語大辞典と中村元選集の刊行」「比較思想の提唱」「東方研究会を母体として1973年公開講座=東方学院の開始」「足利学校の24代目の校長にも」など、息づかいが聞こえてくるように、植木さんはエピソードも交えて描いている。