
「国土学」の第一人者の大石さんが、国家論を論述している。日本国家を考えれば日本人論、その日本人論は当然、国土に人間が働きかける「国土学」という広大な背景から把えなければならない。そうした国土学から日本人論、国家論へと迫っている。
その射程は日本の今と未来にある。「戦後は戦前の否定では終わらなかった。日本そのもの、歴史も精神を含むすべてのものを否定された。これを放置したままでは、われわれ日本人は根無し草として世界に漂う存在であり続けるしかない」「わが国土の自然条件、位置条件によって世界中の他の国民や民族と相当に異なる経験をし、考え方・感じ方を育んできたのが日本人」であり、「"仲間と共同して働く""集団力の発揮"を取り戻そう」と指摘する。たとえば新自由主義経済の「小さな政府」「緊縮財政」「規制緩和」「自由化」「民営化」などの主流化は、この日本人の強みである特性を破壊してきた。日本人が厳しい自然に翻弄されながら培ってきた互いに助け合う「共」の原理と、欧米人が築いてきた「公」の原理とは根本的に違う。思考停止を戒め、日本人の強みを生かして未来に挑め。智慧は蓄積されているではないか――そんな声が聞こえる。