今ふたたびの、和泉式部.jpg多情な"浮かれ女"の真の顔とは――。年々歳々、季節が移りゆくように、式部は人生のその時々で恋をした。時には奔放に、時には命がけで・・・・・・心ならずも怒濤にまきこまれてしまったこともあったはずだ。その波乱に満ちた人生とは・・・・・・。

「冥きより冥き道にぞ入りぬべき 遥かに照らせ山の端の月」(和泉式部)

「この世をば我が世とぞおもふ望月の 欠けたることもなしとおもへば」(藤原道長)

「大江山いくのの道の遠ければ まだふみもみずあまのはしだて」(小式部内侍)

1000年代初頭、"恋多き女""浮かれ女"といわれながら、次々と秀歌を生み出す当代きっての女流歌人・和泉式部。常に恋の噂が絶えず、揶揄や悪口や悪評にまみれた式部。それは、権勢をほしいままにする藤原道長らの強引な策略に翻弄された姿でもあった。和泉守・橘道貞との夫婦を切り離され、心を奪われた帥宮、道命、弾正宮とも死別・離別。そして、壺井大将、鬼笛大将。心の支えとなった太皇太后彰子や藤原行成。娘・小式部内侍をはじめ、大切な人が次々に喪っていく。和泉式部はその寂しさ、苦しさ、辛い時に歌を詠み、歌が人生を救った。新しい角度で和泉式部に踏み込んだ力作。

プロフィール

太田あきひろ

太田あきひろ(昭宏)
昭和20年10月6日、愛知県生まれ。京都大学大学院修士課程修了、元国会担当政治記者、京大時代は相撲部主将。

93年に衆議院議員当選以来、衆議院予算委・商工委・建設委・議院運営委の各理事、教育改革国民会議オブザーバー等を歴任。前公明党代表、前党全国議員団会議議長、元国土交通大臣、元水循環政策担当大臣。

現在、党常任顧問。

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