心を閉ざした息子・沢キミヤと父は、猟銃をかつぎ、とりつかれたように森林の中へと突き進む。北海道の、人も全く通わぬ奥深きカルデラの山中――。そこで狙った熊に逆襲され、群れをなす野犬にも襲われる。その獣との凄絶な戦いはすさまじい。いや北海道の開拓史には常にそうした言語絶する厳しい自然と野生動物との格闘があったことを想起させる。
父は倒され喰われるが、息子は戦い生き残る。凄絶な戦いには、人間もない、知性も理性もない、思考する暇もない。土壇場に立った時に噴出する野生の無限のエネルギー。ヒトと獣の生きる、食う、生殖――それは過酷な自然のなかで生命を繋ぐ残酷な結晶ですらある。人肉を喰らう極限の残酷さだ。「何でもよい。生きよ!」との声が原野に地響きのように聞こえてくる。まさに「肉弾」、むき出しの肉弾だ。
武田泰淳の「ひかりごけ」、コッポラの映画「地獄の黙示録」を思い出した。現代文明のなかで、人は何層にも分かれて生きるようだ。しかし究極する所、その生命の根源の所には生への執着と、とてつもない野生のエネルギーがあるようだ。北海道の原野で今も生き抜いている河﨑さんならではの野太い、荒削りの「生きる」「自然・動物と共に生きる」小説に、今回も"浴びせ倒され"た。