昇りゆく「日の出」は、希望であり、生きる力だ。国木田独歩の短篇「日の出」も名作だが、この長編は苦難を背負い続けて坂道を一歩一歩登りゆく人のにじみ出る輝きがある。
「浅間くんと馬橋くんの人生は、まさに波瀾万丈だね。事実は小説より奇なりだ」――。日清戦争が終わり、日露戦争へと突入せんとする時、13歳の馬橋清作は「徴兵逃れ」をして小松を飛び出し、美作、小倉、そして川崎、筑波へと名を隠しつつ鍛冶職人として生きる。襲いかかる苦難の連続。徴兵逃れの重罪、厳しいヤマの鍛冶屋の労働、うち続く炭鉱のガス爆発、朝鮮人の「地獄の採炭」、川崎・横浜の朝鮮人町、大正12年(1923年)の関東大震災における首都壊滅と朝鮮人暴動の流言・・・・・・。試練というにはあまりにも巨大で重苦しい。とくに朝鮮の人々には試練ではなく理不尽きわまりない苛酷さだ。生きることの辛さ、悲しさ、そのなかで懸命に生きることによって光を見出す。鍛冶職人は地味はもとよりのこと、たたいてたたいて鍛え抜く象徴といえよう。その人生の岐路にはいつも小松の先輩・浅田幸三郎が姿を現わした。
一方、時をへだてて清作を曽祖父とする平成の若い教師・あさひが描かれる。いずれの時代でも生きる者に平坦な道はない。「鍛冶は、1日に何万回も金鎚を打つ。しかし、二度続けて同じ鎚音が鳴ることはない。ひと打ちごとに鉄は鍛えられていき、鎚音がわずかに変わっていく」・・・・・。