秀吉の野望と妄想に始まった朝鮮出兵、明国征伐――。それを止めることが全くできず意見すら言えない家臣ら。具申できるはずの秀長、千利休の死。保身のために対馬宗家の作為を虚偽であると上申できなかった小西行長らの繰り返される隠蔽工作。虚偽は虚偽を呼び、暴走は各大名のみならず日本と朝鮮の全てを飲み尽くす。修羅に巻き込まれ、田畑をもなぎ倒されていく無辜の民は無間地獄に突き落とされる。秀吉の死によってやっと終結する朝鮮出兵だが、武士は帰還しても民草は残される。まさに狂乱と地獄の天正、文禄、慶長の1580年代後半からの10年――。風雨激しき日も晴天の日も、信念を曲げずに一定の軌道で民草の地面(三河、堺、薩摩、博多、ルソン、朝鮮)を歩き抜いた徳川家の旧臣、しかも不遇の死を迎えた嫡男・徳川三郎信康の小姓衆であった佐橋甚五郎の人生が描かれる。一筋の道を歩む「星夜航行」だ。
三郎信康の死、冤罪を受けての出奔、商人への転身、九州・ルソンで遭遇するイスパニア対ポルトガルの争覇、秀吉の"バテレン追放令"とサン・フェリーぺ号事件や日本26聖人殉教、加藤清正等と行長・三成らの確執、"死んだふり"をしながら利根川東遷や伊豆金山を探掘し力を蓄える家康・・・・・・。なんと"関ケ原"の後に甚五郎は、家康の前に朝鮮の使節となって姿を現わす。
「甚五郎はうなずいた。武家に生まれた者が物心ついてまず教えられるのは『望みや願いを一切持つな』『生への執着を絶て』ということだった。戦場での生き死には、己の意志や力などではどうにもならないのだから、すべて天運に委ね預けるしかないものだった」――。諦観と自身の道に生きること、そして生きることに誠実、精神の自由を保持すること。民草の視座から未曾有の狂気と戦乱の時代を生きた男の清冽な姿、実に丁寧に迫力をもって描いている大変な力作だ。