「それは私が京都に暮らしていた学生時代、たまたま岡崎近くの古書店で見つけた一冊の小説であった。1982年の出版、作者は佐山尚一という人物だった。『千一夜物語』が謎の本であるとすれば、『熱帯』もまた謎の本なのである」――。この佐山が著した『熱帯』は、「汝のかかわりなきことを語るなかれ しからずんば汝は好まざることを聞くならん」という謎めいた文章で始まるが、不思議なことに読む途中で消えてしまい「この本を最後まで読んだ人間はいない」のだ。その謎の解明に勤しみ巻き込まれていく読書会(「学団」)の池内氏、中津川さん、新城、千夜さん(海野千夜)。そして白石さん。当時、千夜と同じ学生であった佐山は「魔術にまつわる物語、南の島をめぐる不思議な冒険譚を書く」といい、失踪していた。そして、『熱帯』という小説を読み始めた者たちは、いつしか『熱帯』という世界そのものを生き始め、物語の主人公になっていくのだ。
「想像の世界、『熱帯』の世界」が広がっていき、「不可視の群島」での不思議な物語が展開される。「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」「この海にある森羅万象はすべて贋物なんだ」「『おまえは帰るべきところを忘れ、それを忘れたことさえ忘れている』と魔王は言った。『その失われた思い出こそが魔術の鍵だったというのに――』」「どこに魔女がいるというんだ・・・・・・見ようとしなければ見えないのよ」「<創造の魔術>とは思い出すことだ」・・・・・・。
自在に時空を飛ぶ展開。「千一夜物語」は夢、神話、創造、起源、そして「シンドバッド」「アラジン」などをも17世紀以降に紛れこませた信じられない肺活量の物語だが、この森見登美彦「熱帯」は、その世界と随伴して時空を疾走する。「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」と言っているように、人間の内奥に込められた過去・現在と未来の想像を限りなく自在に描けるのが小説だというワクワク感が伝わってくる。