一高の紋章・橄欖と柏。橄欖は文の神・ミネルヴァで、柏が武の神・マルスで「文武両道を修めよ」との意味をもつ。岸は「やはり武よりは文、マルスよりはミネルヴァこそが先導しなけりゃならん」と椎名悦三郎にいう。「椎名は省内一仕事ができると見なされ、花道を歩いている岸をうらやんでいた。男の嫉妬ほど厄介なものはない――」「人にとって一番大事なのは、『人に遭う』ということなのかもしれんな」と先輩は椎名にいう。
しかし、"花道を歩む"といっても一生は波瀾万丈。関東軍が支配する満洲に赴任、"二キ三スケ"と呼ばれるが、「岸は、清廉潔白だが仕事ができない者より、叩けば埃が出る身ながら天下国家のためになる仕事をする者の方が偉いのではないかと思っていた」。戦争は泥沼化し、昭和14年10月、日本に帰り、政変に次ぐ政変、激震のなか政治家として立つ。国家の死命を決する岐路。"喧嘩師"岸は激しくぶつかりながら闘いの日々、東條内閣が成立し、44歳の岸は商工大臣となる。激しい権力闘争、19年7月東條内閣総辞職。敗戦。巣鴨プリズン、A級戦犯、幽囚の日々。GHQ、憲法制定過程、吉田茂、朝鮮戦争、サンフランシスコ平和条約と欠陥多き日米安保条約。そして激しい政争と離合集散、保守合同。鳩山内閣の"北方領土問題"と米国・ダレス、訪米する岸。そして岸内閣、安保改定。池田内閣、佐藤内閣、田中内閣に対しての岸の思い。30年代初頭からは私の記憶に鮮明にあり、エピソードも聞いているものもあり、生々しい。
超絶の歴史大変動のなかで、「日本を背負う」政治リーダーが、心身ともに切り刻まれるなか何を思い、どう決断し行動したか――。さまざまな思いが交差し、乱反射する。