浄瑠璃の近松半二の生涯――。穂積成章は浄瑠璃狂いの父・以貫から近松門左衛門より譲り受けた硯を託されて浄瑠璃作者へと導かれ、近松半二を名乗る。道頓堀には歌舞伎、操(あやつり)浄瑠璃などの芝居小屋が建ち並んでいた。浄瑠璃に魅せられ栄枯盛衰の波に翻弄されながらも突き進む作者、人形遣い、太夫、座本たち。
思い、狂い、苦しみもがき続けた近松半二はついに「妹背山婦女庭訓」に全てを結実させる。連日、竹本座は蘇って大賑わい、隆盛の歌舞伎芝居に一矢報い、借金も返す夢のような大入りの日々に竹本座の面々は涙する。
仏典には「心如巧絵師」とある。心は無量無辺の三千世界へと飛び、夢と現、この世とあの世のあわいを生き、実が虚となり、虚が実となり、実となってまた虚へと裏返る。庶民を虚実混然一体の渦の世界へと誘い、熱狂を生み出すエネルギーは凄まじい。
「ままならぬのが人の世だ。艱難辛苦に翻弄され、泥にまみれていくのが人の世だ。醜い争いや、失望や意図せぬ行き違い、諍い、不幸な流れ。辛い縁に泣き濡れて、逃れられぬ定めに振り回されていくばかりが人の世だ。それなのに、なぜうつくしい。悲しみも嘆きも、苦しみも涙も、なぜうつくしい。そうよな。それが操浄瑠璃よな。・・・・・・この世は汚いまんまやけどな。そんでも汚いもんの向こうにうつくしいもんがある」・・・・・・。庶民を夢中にさせた道頓堀の芝居、そのために自らを異次元の狂の世界まで突き詰めた作者や人形遣いの人々の鼓動が伝わってくる。